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青空ーすべてはバランス

音楽と旅

朝の連続テレビ小説「エール」が放映されている。毎朝楽しみに視聴しています。朝から「はね駒」とともに豪華二本立てとなっております。

ところで、場面は、主人公の古関裕而がコロムビア専属作曲家になってからヒット曲がでない苦しみを味わっているところです。1931(昭和6)年に「紺碧の空」 を発表したことは放送されました。本当はどうだったのか知りたくて調べてみました。今週はもう大体「来たー!」という内容になるだろうことは分かりますから。

入社して4年目の1934(昭和9年)年の春、高橋掬(きく)太郎と取材旅行をしてヒット・ソングを作ることになったそうだ。そうです。旅です。旅は芸術家の行き詰まりをいつも打開してくれます。
水郷の潮来(いたこ)を訪問して見事出来上がったのが「利根の舟唄」。なんとこれが初のヒット曲となったというから、旅の効果は絶大だ。

ちなみに、この翌年、1935年(昭和10)には同じコンビで「船頭可愛や」を作曲。歌ったのは、げた屋の跡取り娘。芸名は音丸としている。歌が本当にうまかったようです。
才能もきっかけがないと開花しないようです。作詞、作曲、歌が三拍子そろい、入社5年目にして大ヒットし、ゆるがない地位を築いていくことになる。おもしろいですね。しかし、本人の苦しみはいかほどだったことか!
もうひとつ!忍耐も必要かも。


クラシック音楽の有名な作曲家たちもその多くが旅をして、その国や地方の古くからの伝わる音楽や今まで知らなかった特有の文化に触れ、自分の作風に取り入れて作品に反映させているだけでなく、自身の音楽家としての能力と作品の質を高めている。
例として分かりやすいのは何といってもドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」でしょう。故郷のボヘミアを離れ、ニューヨークの音楽院院長に招かれ3年間滞在している。仕事と言えば仕事だけど、旅でもある。
アメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受け、アメリカと言う「新世界から」故郷ボヘミアへの郷愁を感じて作曲したと言われている。郷愁だけではなく、この曲は、彼にとって全く新しい新世界アメリカという国特有の文化、旋律の精神をこの曲に見事に取り入れている。

旅はいかに作曲家たちの想像力を刺激したことか!

どうでもいいけど、音は丸いレコードから出る⇒音丸 だそうです。

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