端島の炭鉱としての施設の閉山12年後の姿です。
賃金支払窓口の看板がとても12年経過したとは思えない鮮明な姿で残っています。
今にも動きそうなクレーン
3代目のドルフィン桟橋は現在でも健在です。
ベルトコンベアを支えていた支柱もさみしくたたずんでいるように見えました。
端島の炭鉱としての施設の閉山12年後の姿です。
賃金支払窓口の看板がとても12年経過したとは思えない鮮明な姿で残っています。
今にも動きそうなクレーン
3代目のドルフィン桟橋は現在でも健在です。
ベルトコンベアを支えていた支柱もさみしくたたずんでいるように見えました。
厚生食堂とうっすら読めますね。
「海に眠るダイヤモンド」のドラマでは、この食堂の中のシーンがたびたび流れていました。
ここは商店街だったのでしょうか。左側は鮮魚店だったのか?どこの場所で撮影したのかは思い出せません。
多くのパチンコ台が並んでいます。賑やかな音はせずひっそりとしていたのが印象に残っています。
ここは確か真っ暗だったはずで、ストロボを使っての撮影です。
交番?木でできた牢屋が左奥に見えます。島は治安が良かったでしょうから使われた事はなかったのではと思っちゃいます。
閉山12年後のプールの姿はがれきでいっぱいの状態です。現在も第3見学広場に行く途中に見る事ができます。
夏には、子供たちの歓声でいっぱいだった区域ですね。
1986年の時の端島病院です。
小さな病院と思いきや、総合病院としてありました。しかも社立というのが凄い!
たった12年でここまで荒れ果てるのだろうか・・・
病院を入っての受付の場所でしょうか。
診療時間はしっかりと残っていました。
たくさんの人であふれていたであろう通路です。痛みが激しいですね。
分娩室ですね。新しい命がたくさん誕生したことでしょう。
手術室
入院用の病室にはベッドが2つ並んでいました。
病院のある部屋には、大量の薬品の段ボールが放置されていました。触ったりしていないので、中身があるかどうかはわかりませんでした。
写真にありませんでしたが、地下には、大量のレントゲン写真があったのを記憶しています。
端島の学校は小学校、中学校が同じ建物の中にありました。
狭い土地を利用するためには当然の事でしょう。ただし、保育園は65号棟の屋上にありました。
人が住まなくなって12年。緑が校庭にもびっしり茂っていました。
グラウンドの奥には教員住宅がありました。ちどり荘と言う名前のようです。学校まで徒歩1分くらいでしょうか。先生の部屋にも遊びにいった生徒はたくさんいたことでしょうね。
わかまるも先生の家に遊びに行った記憶があります。
校庭から見える護岸の壁には色鮮やかなタイルのモザイク画がきれいな形で残っていました。現在もあるのだろうか・・・
多くの子供たちが毎日通って行った正面の入り口付近です。
15時33分で止まったままの時計。学校の電源を落とした時間なのだろうか・・・
12年経ったとは思えない校内の様子
給食の配膳をしていた場所でしょうか。
3月16日土曜日。わかまるが小学生の頃も土曜日は学校にいっていました。休みよりも、学校を午前中だけで家に帰られるということが妙に嬉しかったですね。日曜日よりも土曜日が一番すきな曜日でした。
端島の学校を卒業した生徒が来島したのでしょう。荒れ果てて行く学校を見て何を思っただろうか・・・わかまるが学んだ幼稚園、小学校とも跡形もなくなくなっているので、荒れていても存在するだけでも、うらやましく思います。
当時の時間割
簡易のプラネタリウム?が廊下に設置されていました。
学校の一番上にある講堂?の入口から中を望む。現在の映像を見るとこの場所は崩壊していました。
平均台が見えるということは、体育館ができるまでは、体育でも利用していたのかもしれませんね。
立派な体育館ですが、この施設も現在は屋根が抜け落ちてかなり傷んでいるような感じでした。
北東は学校に、北西は65号棟に接しているので、窓が多く採光を意識しているつくりになっていると思われます。
今では、正面の入口が残っているだけでほとんどが崩壊している50号棟映画館の「昭和館」です。
写真右側の崩壊している木造の建物は、23号棟寺院、女子独身寮と思われます。
「海に眠るダイヤモンド」の中で、リナが住んでいたところですね。
わかまるが訪ねた1986年時には映画館の外観はしっかりしているように見えます。
ただ、内部は荒れ放題です。
12年の月日がそうさせたのか、人的に何か加えられたのかはわかりませんが、寂しいですね。ただこの場所は、すぐ横が海なので波と風で傷んだと推測します。写真右側の海側の痛みが激しいですね。↓
昔の映画館は、このようなつくりが多かったのでしょう。わかまるが幼少期によくいっていた映画館も、そっくりの作りでした。