ウォーターラインこちら艦プラ生活広報課

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トルコ記念館

2025年01月03日 | 艦船漫歩

年末から年明けまで和歌山へいって来たのですが、和歌山に行って絶対に寄ろうと思っていたのが串本町にあるトルコ記念館でした。

恥ずかしながら、関西に住むようになってから、テレビのニュースで、エルトゥールル号の遭難、日本とトルコの友情を知った次第です。

エルトゥールル号の遭難については、調べてもらえればと思います。

記念館は、遭難現場が見渡せる所に建てられていて太平洋も一望できます。

映画化もされていて「海難1890」と言うタイトルでアマゾンプライムでも見る事ができます。

映画後半では、涙しちゃいました!トルコ国民に感謝です。

トルコではエルトゥールル号の遭難事故は、授業で習うと聞きました。

和歌山の学校でも、遭難した9月16日は、授業でおそわるのでしょうね。

こういった歴史は一部の自治体だけではなく広く知って欲しい出来事だと思います。

 


回天大神訓練基地跡にいってきました。

2024年10月18日 | 艦船漫歩

大分県は国東半島の南側に位置する日出町(ひじまち)の回天大神(おおが)訓練基地跡にいってきました。

回天の基地と聞くと、山口県徳山冲の大津島を思い出すのですが、この大神訓練基地もかなり大きな施設である事が、案内板からもうかがえます。

跡地には、実物大の回天が展示されています。

調整プールも当時のままのこっています。

貴重な跡地を見て、話だけでは伝えきられない事を学ぶ事は多いと思います。


後悔・・・

2024年10月04日 | 艦船漫歩

佐世保に行ったときに、是非行ってみたかったのが、浮き砲台として「涼月」が係留されていた場所でした。

どうしてもわからず、断念をしたのですが、やっとわかりました。

今でも、風景は全く変わっていないようで、なおさら行ってみたかったですね。

Googleさんの地図に書き込んでみました。

是非、近くに行くことがあったら訪れてみてください。

次回行くことがあったら必ず行って、今の風景に「涼月」を合成してはめ込んでみたいですね。


旧佐世保海軍工廠第七船渠

2024年10月02日 | 艦船漫歩

旧佐世保海軍工廠第七船渠を見てきました。

 

ここが、日本遺産とは知りませんでした。ドックが見渡せる所に、立派な説明板がありました。

 

国道沿いの下に広いスペースで自衛隊、米軍、造船所と施設がびっしり。

 

佐世保市のほとんどが基地のような感じがしました。

 

 

看板には下記の事が書いてありました。

 

佐世保海軍工で最後に完成した大型施設が第七船(現第四ドック)である。この船渠は大和型戦艦の造修を目的としたもので、昭和15年(1940)に完成し、全長343.8m、全幅51.3mの規模があった。昭和16年7月には三菱長崎造船所で建造中だった戦艦武蔵が入渠し、スクリューや舵、艦底塗装など艤装の一部を行っている。戦後は空母隼鷹、笠置、伊吹など旧海軍艦艇の解体にも使用され、佐世保重工業(株)となった後は当時世界最大のタンカーだった日章丸(積載量13万トン)の建造をはじめ、大型、中型タンカーやバラ積み貨物船を多数建造している。

 

The 7th dock (current 4th dock), completed in 1940, was the last large facility built in Sasebo Naval Arsenal. The 343.8m-long and 51.3m-wide dock was primarily intended to build and repair the Yamato-class battleships. In July 1941, the Battleship Musashi (the Yamato-class), which was being constructed at Mitsubishi Nagasaki Shipyard, was temporarily towed to Sasebo and equipped with a rudder and propellers in this dock.

 

 

場所によっては、草がフェンスに覆い茂って自然の目隠しになっていました。ちょうどコンビニの向かい側なので場所はわかりやすかったですね。

 

場所を移動すればドックを見渡すことができました。

 

 

軍艦防波堤「樺」

2024年10月01日 | 艦船漫歩

片島魚雷発射試験場跡から歩いて5分ほどの所に、駆逐艦「樺」が防波堤になっている場所に行ってみました。

「樺」は、1932年に除籍された初代の駆逐艦。

「歴史群像」によると、この防波堤は1933年(昭和8年)6月に完成したそうだ。

駆逐艦「樺」の歴史を書いた看板は全くなかったが、防波堤のすぐそばに、昭和28年の工事と平成26年の延伸工事の碑が建っていた。

おそらく手前が昭和28年で、奥の白っぽいコンクリート部分が平成26年に延伸された部分と思われる。

新しく延伸された部分から陸地をのぞむ。

「樺」が眠っているとすると、途中まで消波ブロックに囲まれた一番低くて古い防波堤の下に眠っているのではないだろうか。

この防波堤からは、片島魚雷発射試験場跡が見えました。