端島の学校は小学校、中学校が同じ建物の中にありました。
狭い土地を利用するためには当然の事でしょう。ただし、保育園は65号棟の屋上にありました。
人が住まなくなって12年。緑が校庭にもびっしり茂っていました。
グラウンドの奥には教員住宅がありました。ちどり荘と言う名前のようです。学校まで徒歩1分くらいでしょうか。先生の部屋にも遊びにいった生徒はたくさんいたことでしょうね。
わかまるも先生の家に遊びに行った記憶があります。
校庭から見える護岸の壁には色鮮やかなタイルのモザイク画がきれいな形で残っていました。現在もあるのだろうか・・・
多くの子供たちが毎日通って行った正面の入り口付近です。
15時33分で止まったままの時計。学校の電源を落とした時間なのだろうか・・・
12年経ったとは思えない校内の様子
給食の配膳をしていた場所でしょうか。
3月16日土曜日。わかまるが小学生の頃も土曜日は学校にいっていました。休みよりも、学校を午前中だけで家に帰られるということが妙に嬉しかったですね。日曜日よりも土曜日が一番すきな曜日でした。
端島の学校を卒業した生徒が来島したのでしょう。荒れ果てて行く学校を見て何を思っただろうか・・・わかまるが学んだ幼稚園、小学校とも跡形もなくなくなっているので、荒れていても存在するだけでも、うらやましく思います。
当時の時間割
簡易のプラネタリウム?が廊下に設置されていました。
学校の一番上にある講堂?の入口から中を望む。現在の映像を見るとこの場所は崩壊していました。
平均台が見えるということは、体育館ができるまでは、体育でも利用していたのかもしれませんね。
立派な体育館ですが、この施設も現在は屋根が抜け落ちてかなり傷んでいるような感じでした。
北東は学校に、北西は65号棟に接しているので、窓が多く採光を意識しているつくりになっていると思われます。