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一期一会
これは、幕末の大老、井伊直弼が、
「茶の湯一会集」に表した、私たちにもなじみの四文字です。
直弼は、十一代藩主井伊直中の十四男として、誕生しましたが、
藩主の実子でありながら、嫡子以外の庶子であったため、
17才から、藩主になる31歳まで、埋もれ木舎(表題の写真)で、
質実剛健な暮らしをしていました。その間、文武の修練に精進しました。
茶道、和歌、能は達人の域で、禅、国学、陶芸、
さらには国際情勢までの 「文」と
居合術、柔術、武術、弓術等の「武」と文武両道の修練に励んだのです。
その直弼があらわした、茶の湯一会集の冒頭に、一期一会は記されています。
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茶の湯一会集
一期一会
一期、今日が最後と一度きりのこの出会いに心を込めよということです。
そしてその出会いは、同じ顔ぶれ同じ内容であったとしても
同じ状態は二度と起こりえません。
同じように行ってもその時の環境、条件、状況は違います。
主客の反応や対応にも違いが出るでしょう。
一瞬たりとも変化してやまぬは世の常。
だからこそ、今この時を大切にともに居ることに感謝しようというものです。
過去に執着したり、未来の心配をせず、
今、体感できるこの瞬間を大切にする。
過去や未来に意識を向けず、今ここにいること。
今・ここの感覚は、ゲシュタルト療法にも通じます。
利休の思いを、弟子であった山上宗司が、著書「山上宗二記」の中で、
『茶湯者覚悟十躰』として、【一 期に一度の会】と記したものを
井伊宗観、井伊大老が、「茶の湯一会集」で自身の覚えとして、
紹介したものです。
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井伊大老
利休居士が侘び茶を大成したのは戦乱の最中、
そして井伊大老が活躍したのも幕末の動乱期。
今日の日は、こうして共に茶を楽しんでいますが、
明日は敵味方になるやもしれません。
だからこそ、今の一瞬、共に茶を喫することに喜びを見出す、
一期一会の意味は重く、そして輝くのです。
いつも生死の境にいた武士の心構えがよくわかります。
ちなみにフリッツ・パールズは禅を学んでいますから、
今、ここを重視するゲシュタルト療法に通じるのは、当然と言えば当然です。
序の抜粋:「此書は、茶湯一会之始終、主客の心得を委敷あらはす也、
故に題号を一会集といふ、猶、一会ニ深き主意あり、抑、茶湯の交会は、
一期一会といひ て、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、
今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、
実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、
聊も麁末 のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を
弁へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、
是を一期一会とい ふ・・・」。とあります。
常に一生一度の会の心構を説く。
どんなときもこの出会いはただ一度、一会で、二度と来ないのだから
桜田門の変で散った、井伊大老の言葉。
そう思うと、心に響きますね。
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井伊直弼が、藩主になるまで、
17歳から32歳までの十五年間
部屋住みで過ごした、埋れ木舎
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埋もれ木という名の菓子
埋もれ木とは、樹木の幹が、地中に埋もれ、
長い年月をかけて圧力や熱で変化し、
炭化したもの。
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