もののあわれ。
日本人の美意識の根底に流れているのが、もののあわれという情緒です。
万葉の昔から歌い継がれたこの情感は、平安貴族に受け継がれ、
その後の武家社会にも仏教の無常観と共に受け入れられます。
小さきもの、滅び行くもの、消え去るものへ心を寄せるやさしさです。
その後、それらは侘びさびへと通じてゆきます。
日本には、古来より荒魂「あらみたま」と、
和魂「にぎみたま」という対立というよりは、
対になる二つの側面を神霊にみていました。
荒々しい闘争的な精神と、思いやりのある情け深い心、滅びゆくもの、
移りゆくものに心を寄せるやさしさです。
武士たちは闘争に明け暮れるからこそ、
敗れたもの、滅び行くものを、思いやる、
そういった情緒、弱者や敗者をも肯定し、自らの内に統合していったのでしょう。
敵ながら天晴れ、
武士の情け、
などといった すべてを受け入れて生かそう とする、
日本人の情緒の特徴が垣間見えます。
ちなみに、あっぱれは、哀れ、あわれが、促音化してあっぱれに転化したと
語源由来事典には、解説されています。
あわれは、
「あは」、という心の底から噴き出す感動のすべてを表す感動語に、
「れ」という接尾語が付いたもので、
後に、あっぱれは感嘆したときに使い、
哀れは、悲嘆や嘆賞を表すようになった、とあります。
平家物語に登場する、平 忠度(たいら の ただのり)は、平家一門の武将。
平清盛の異母弟。
伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男として生まれる。
母は藤原為忠の娘で、薩摩守。
歌人としても優れており、藤原俊成に師事しました。
平家一門と都落ちした後、6人の従者と都へ戻り、
和歌の師、俊成の屋敷に赴き、市に別れを告げて、
自分の歌が百余首収められた巻物を俊成に託しました。
撰者・俊成は朝敵となった忠度の名を憚り、
『千載和歌集』に「故郷の花」という題で詠まれた歌を一首のみ
詠み人知らずとして掲載しています。
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
— 千載集六十六
戦いに敗れながら、都落ちしつつも、雅な心を忘れなかった
平忠則の逸話です。
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