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戦国武将、大名が茶の湯に魅せられたもう一つの理由~
自己と向き合い、研鑽することのほかに、
茶の湯には主客の役割を担うということがあります。
これはリーダーとして多くの兵を率いる武将にとっては、
大きな学びであったのではないかと思われます。
自分自身の技量、個人個人の学びがある一定のスキルに達したとき、
初めて他の方々と共に一座を立ち上げることが出来ます。
もともと茶の湯はこの一座建立という概念を連歌から採り入れています。
村田珠光が茶の湯の精神的なよりどころを禅に求めたように、
その後のわび茶を発展させた竹野紹鴎は、主客が心を寄せてその場を作る、
という座、つまり場づくりを連歌の座から持ち込みました。
連歌とは、
和歌を上の句五七五と、下の句七七に分けて、次々に詠んでゆきます。
先の人が、上の句を詠んだら次の人は下の句を続けて詠んでゆきます。
それを続けて、百句まで読んだというから、驚きです。
即興的、かつ創造的な取り組みです。
私は、そこから現代のコミュニケーション、トレーニングにも一部、
採り入れられている インプロビゼーション(即興劇) を連想しました。
臨機応変、当意即妙、奇想天外な対応を楽しみながら、
柔軟な発想や人とのつながり、コミュニケーションを学ぶものです。
その場にいる人たちが、次々と先の人に続けてお話を創作したり、
「テーマ」を決めてそれに即座に反応したり、
ボディランゲージを使ったり、さまざまなワークが行われます。
ここで大切なことは、即応するためには、
よく前の方の事を見て聞いて感じておかなければなりません。
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最初から筋書きがないので、お互いが心を寄せていないと、とんでもない方向へ行ってしまいます。
その場にいる人々が互いに相手を尊重し、受容し、その状況をも受け入れて
いきます。
自分がいいアイディアを持っていても、
その場に合わなかったら、又は直前の方が全く予想外のことを言ったら
それを丸ごと受けて、自分のアイディアは、手放してゆく。
そんなことが即座にできる事が場づくりには大切です。
きっと連歌の席でもそんなことが行われていたと思います。
自分の役目を全体の中から読み取り、果たすこと。
そして互いに心を添わせて、一つの作品を作ってゆくことが、
一座建立という事ではないかと思います。
それぞれに一定レベルの技量をもった個々人が、
自分自身の役割を果たしながら全体の流れを作ってゆく事は、
主客という役割を果たしながら大きな茶会というイベントを創り出してゆく事と変わりありません。
お茶事のテーマに心を寄せて 皆で創り出す、
総合芸術としての茶の湯の真髄ではないかと思います。
この主客という立場は、時と場合によっては逆転もします。
招く側と招かれる側の役割が変わることによって、
気づくこと、理解できることは沢山あります。
それらのことはいざというとき自分の分を果たすべく研鑽を積んでいた武士にとっても、
素晴らしい学びの機会であったはずです。
生と死を見つめ、一瞬を輝かせるために自分と向き合い、極限まで追いつめる
一方、共に心を解き放ち、互いの役目を果たしながら共に何かを成し遂げる。
茶の湯はこれらの 剛と柔、相反する学びを私たちに与えてくれます。
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