この前 あるテレビでドキュメント番組の放送がありました。
自分が死のうとして意図的に周りの無関係な人々を巻き込んで殺傷する事件が最近増えているとして特集したものでした。
その中で 刑に服したある容疑者が独白するところによれば 幼いころに親との間で自分の存在価値を見失う体験をした記憶があるが その後の人生でもたびたび自分が信じた人から裏切られるような体験をした。それらの体験が積み重なってついにこれ以上生きていく意欲を失ってしまった。自分で死ねない場合でも多数の人を殺せば死刑に処してもらえると思った。というような意味のことを語ったようでした。
なんと不条理な 人にも自分にも残酷な考え方だと思いました。
そして事件の巻き添えにあった多数の犠牲者の人々。特につらいのは残された家族や友人たちかと思います。
さてこの自分の存在価値を見失い生きる意欲を失ってしまったという人が世の中には とても多いようなのです。そして多くの場合 自分の存在価値は他人に評価されることだと信じていますから 自分を信じてくれていると思っていた人から期待に反するようなことをされたと感じたとき 自分が見放されたとか裏切られたように感じてしまうことが多いと思います。
実は自分の存在価値は他人じゃなくて自分が決めるものなのです。まったくそうなのです。もし自分の価値が他人によって決められるものなら自分の価値は常に不安定なものになるでしょう。また人間の存在価値はその人間が存在するだけで十分な価値があるのだということを知らねばなりません。何かを成し遂げたから価値が生じたり人が評価してくれるから価値が生じたりするものではありません。
また人によって価値に大小があるのではなくすべての人の存在価値はまったく平等だということも知らねばなりません。これらの重要な問題は自分が人間として成長することで完全に解決します。ですから人生の目的は成長することであることも知らねばならないのです。成長とは自分がより高い波動で振動する存在になることです。自分の振動数が上がることなのです。神も天使も人間も宇宙の生命エネルギーから出来ている生命体ですから振動していますので 当然波動(振動数のこと)を持っています。
さらに言えば人間には魂と天使が入っています。言い換えると魂と天使が人間という肉体をかぶっているとも言えるのです。
魂も天使も人間よりは波動が高く とくに魂は多様性を持たせるために神が自らを多数に分割したものですから神とほぼ同じくらい高い波動を持つ生き物なのです。それだけでも人間というものの存在価値は疑う必要性さえありません。
つまり人間という生き物は ある一定の期間 神が神でない生き方をするのを手伝う役目を与えられているのです。人間は神が書いた筋書き通りに人生を生きるのですが それは一応何でもありの筋書きの人生になっています。善も悪もすべてを含むのです。一定の器官とはその人間が人間として生きている間のこと つまり一つの人生という器官です。人生の経験が人間に成長をもたらすのです。また同時にそのおかげで神(魂)はすべてである自分自身を体験して自分自身を知ることができるのです。
もし人間というものが居なかったら 神は天国=極楽浄土だけの体験しかできないのです。つまり神は「すべて」である自分が体験できないのです。つまり神は神でないものになることはできないからです。本当は善も悪も成功も失敗もすべては神であるのに 神自身は悪や失敗にはなれない つまり体験することはできない そういうことなのです。理解はしていても体験はできないのです。だから人間や天使が手伝っているのです。
神はあるがままに存在し 天使も人間もそれぞれに波動は異なるけども その波動の中であるがままに存在することを目標としています。そして天使と人間の場合は それによって成長することを目標としているのです。たとえ人間から見て自分や他人が 今どのように不完全に見えようともつまらぬものに見えようとも 全ての人間は一人残らず将来に向けて必ず成長進化するという莫大な価値を持っているのです。
それは 人間から見ればこの世に悪いことや幸せでないことが いつまでも止まないように見えますが真実はそうではなく それは今は人間が神でない存在から出発しているからであり いずれは天使のレベルにまで成長し 究極的には神の存在まで成長することが約束されているのです。つまり人間というものは 神が神でない体験をするための「乗り物」となってこの壮大な何でもありの現実の世界というものを神に体験させてあげている という意味でもその価値は計り知れません。そのことを一番よく知っているのは神であり魂なのです。
更に愛や喜びや感謝という感情や他人のために尽くそうというという考えや 更にこの世の悪を排除排斥して追い詰めるのではなく 最後はすべてがひとつになろうとする寛容な心などは すべて高い波動を持っています。
人間は日常の生活を通してこういう波動の高い感情や考えを天使や魂から学んでいるのです。それが神が人生の筋書きを書く所以です。神でなければ書けないものなのです。ですからこそ生きる中で学び人間の波動が高くなれば自分の存在価値を疑うことは自然になくなります。そして自然に他人を助けるようになります。成長とはその人の存在自体が変化する すなわち波動自体が変化することだからです。
人類が成長して行くと 理不尽な出来事は当然減ってきます。
それははっきりしています。その具体例は天国=極楽浄土として今存在しています。
ただ今まで申しましたように成長進化を達成するためには一回きりの人世だけでは人間には学ぶことは難しく最低でも何百回もの人生が必要なのです。
(第192話終わり)
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