全くとんでもない事件が今世界を揺るがしていますね。プーチン氏の暴挙です。罪もない市民や子どもたちが多く犠牲になっています。しかし実はどっこいこれも神が人類に与える課題のひとつなのです。
人類よ この事件から何を学ぶ? という課題です。
問題の善悪大小を問わず 人間のあるいは人類の成長を促す神のいつものやり方です。神が解決策を用意していて そしてこうしなさいといっているのではないのです。解決策は人間が考えるのです。自分の学びのために。
今の問題はまずどれだけ早くこの暴挙をストップさせられるのかです。
それから次に進みます。そのとき人類が「今」どれだけ成長しているかによって どんな選択肢を選ぶかが決まります。
神のやり方は 人間に課題としていろいろな問題を与え 解決のための選択肢を考えさせ 行動するのを見守る。そして人間が取った行動に対してどういう結果になるかを現実という形で起こして見せているのです。 そしてどのような行動が良い結果を生むのか それは何故なのかを人間に学ばせようとしているのです。個人の人生においても同じです。
目的は人類の精神的成長です。私たちは日々それに向かって毎日を暮らしているのです。何かの出来事のたびに これによって私たちは何を学ぼうとしているのか? なんのためにそういう解決策を取ろうとするのか? と訊かれているのです。
例えば この前の東北大震災のとき 人間どうしの絆ということを学びました。今度のロシア・ウクライナ問題はどうか。
この場合も解決の基本策は 絆すなわち人類のネットワークを最大限に盛り立てることではないかと思われます。
つまり真実は私たちの魂がネットワークを築いてこの宇宙を運用しているのですが そのことを人間が認識することではないでしょうか。
人生は個人ベースであるように見えるけど このような規模の大きい事件が起きると人々の連帯感とか絆意識が意識されやすくなるのはなぜなのだろう。
民族とか国家とかいうシバリを超えて もっと広い人類全体の助け合いのネットワークというものに意識が向くように感じるのはなぜだろうか。
一人はみんなのために
みんなは一人のために。
これは宇宙の真理です。
何を意味するのだろうか。例えば
個人は人類全体の成長ためにあり得るすべての人生を手分けして生きている。ただ与えられた人生を生きるだけでも人類全体に貢献しているのです。
そして人類全体は個人の人生のすべての責任を人類全体による連帯責任として受入れて認めている。この文章の個人を一つの魂 人類全体を魂全体と言い換えることもできると思います。
つまり究極の目的は 人間一人一人はまず他人を救うために生き そして人類全体はネットワークの形で一人一人の個人を助けている。本当はバラバラな個人という形は存在せず全部が一体である。私たちはそれを学ぼうとしている。
(第189話終わり)
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