節約の達人が買い物に「行く場所・行かない場所」 一番つまらないのは「見栄を張る」ことだ
2025/01/30 07:30様記事抜粋<
「お金をおろすときは3万4千円」「クレジットカードは2枚だけ」「年金は受給開始になったら即座にもらう」――。
12万部超えのベストセラーとなった『節約の王道』の著者・林望さん。15年ぶりに上梓した『節約を楽しむ』では、林さんが日々実践している節約術が紹介されています。
その中身は、意外にも時代の流れに逆行するものが多くあります。林さんに、その真意を聞きました。
ブランドものは一切買いません
無駄をしないという意味では、身につけるものも同じです。たとえば、私は洋服でいえば、かの〈ファッションセンターしまむら〉の愛用者
ユニクロは、どの店舗に行ってもいつも同じものがあります。新しいものが出て売り切れると、次のまた新しいデザインが販売される。世界中同じです。ところが、〈しまむら〉はワンロット仕入れて売り切ったらおしまい。だから次に店に行っても、もう同じものはない。だから「今度はどんなものがあるかな」と、探索しに行くのが面白いのです。
元々は買ったことがなかった〈しまむら〉に出会ったのは偶然でした。以前に仕事で東北に行くことがあり、車を運転していたところ思いがけず寒くなってしまい、たまたま街道沿いで見つけた店舗で厚手のダンガリーシャツを買ったのです。ユニクロだとすぐにそれとわかるけれど、〈しまむら〉は別に言わなければわからない。いろいろなブランドが混ざっているけれど、ブランドは種々雑多、たいていは東南アジアあたりからの輸入ものです。が、それが発掘する楽しみになっていてまた安いのです。
そして、時計なども、私は1900円くらいのものしか買いません。今実際に使っている時計もその価格でソーラータイプ、光発電をするので電池交換せずに何年も持つ。ロレックスなどはかなり重さがありますが、こちらはごく軽いのも良い。プラスチックや金属のバンドはかぶれてしまうので、私は革バンドに限っています。そのバンドもドン・キホーテなどで、ごく安価なものを探して、傷んできたら自分でバンドのみ付け替えて、何年も使っています。
やたら時計道楽をしたり、スポーツカーに凝ったり、ステレオに無法なまでのお金をかけたり、そういう男がしがちの「道楽」ってものは、ありていに言ってお金の無駄です。背伸びして高いものを買おうとして、月賦で購入するなどは、高利貸しに借りて払っているようなものだから、重ね重ねにお金の無駄
つまり、自分にとって何が一番大事なのかをいつも考えて、大事ではないことにはお金を使わないということが要諦です。
すると結局、一番つまらないのが「見栄を張る」ことです。人に自慢をしよう、誰かにマウントを取ろうといった気持ち、「あいつよりいいモノを持っている」などと、自他を比較するのは大変にいじましい精神で、節約には大毒であります。
節約の達人が愛用しているボールペン
ただ日常使う道具には、ともかく使いやすいもの、機能的に優れているもの、というところに十分意を用いますが、値段もブランドも、それには関係ありません。
たとえば、筆記具。私は常にパイロットの〈Vコーン〉という水性ボールペンを使っています。手紙に、ノートに、メモに、作図に、絵描きに、なんでもこれひとつ、それも赤青黒各色何十本も買ってあって、それを順々に使ってもう40年経ちます。一本80円ほどの水性タイプで、書き味が滑らかなうえに、水性だから油性インクのボタ落ちもしないので、もう筆記用具はこれがあれば充分。
私はこのペンに決めるまでに、いろいろと書き比べてみたのですが、コストパフォーマンスも含めてこれが圧倒的チョイスとなりました。趣味のペン画を描くのもこれです。あとは毛筆の〈ぺんてる筆携帯用=万年筆型のもの〉を常に携行していて、サインしたり和本に何か書いたりするときに使っています。
そうして、ふつうの文房具屋には、このVコーンは置いていないところも多いので、私はアマゾンでまとめて箱買いしています。赤、黒、青の3色を、つねに箱いりで用意しておいて、どんどん使い倒しています。じつに使いやすく、字がキレイにかけて、しかもともかく安価です。
デパートは利用しません
ブランドという意味では、私はデパートというビジネスモデルはすでに破綻していると思っています。なにしろ、地方のデパートはバタバタと潰れています。なぜかというと、ショッピングモールのようなものができると、デパートは、ビジネスモデルとして、もう太刀打ちできないからです。モールの中には、たとえばユニクロをはじめ、あれやこれやの専門店・食堂・レストラン・アミューズメントなどがあり、日本全国どこへいっても同じレベルのものが揃っている。けれど、それをデパートに求めるのは無理があります。
三越なども伊勢丹と合併してしまいましたが、それはデパートの20世紀的なビジネスモデルがすでに破綻しているからでしょう。昔はそれこそ「○○のデパート」なんて表現があったほどデパートに行けば、何でも揃っていた。地下には生鮮食品や弁当・惣菜、1階には化粧やレザー製品など、2階に行くとファッション関連等々と階ごとに専門分野が展開していて、その多くは、デパートのバイヤーが独自に買い付けてきた、あるいは開発から関わってきたデパート独自のブランドで構成されていたように思います。そして、さらに9階には食堂、屋上には小さな遊園地があったりなどして。デパートという一つの完結したワンダーランドがあったけれど、今はもう違います。
仮に伊勢丹でも三越でもどこでもいいので、足を運んでみると、いまはもう昔のようにデパートの独自ブランドなどはあまり見当たらず、ただ世界の有名ブランドのショップが、冷厳に並んでいるばかり。客なんかほとんど入っていない状態で、売り子嬢たちが手持ちぶさたに客を待っている、そんな様相で、私は「ああ、こりゃもうだめだな」と思わずにはいられませんでした。
ユニクロのようなグローバルなブランドショップは、独自の店をあちらこちらに展開しているし、結局デパートは大型家電量販店などと連合したりして露命を繋いでいるというところでしょうか。地方都市には、昔はその町独特のローカルなデパートがあったものでしたが、それも、ほとんど今はなくなってしまいました。
つまるところ、デパートのように「1つの建物の中に何でもありますよ」というビジネスモデルがもう破綻している。
いっぽう、高級デパートに入っているヨーロッパの一流ブランドのどの店舗にも人はろくに入っていない。そのブランドの商品が買いたいのなら、何もデパートでなく本拠であるブランドショップへ行けばいい。となると、かれこれデパートは立つ瀬がないわけです。それにブランド物は高くて買えません。
高級食品よりも料理の腕前のほうが大事
デパ地下がいいと言っても、「このサラダを100gください」「こちらの唐揚げを100gで」と買っているとたちどころに5000円くらいになります。それでもよいという裕福なる人はかまわないかもしれませんが、つきつめると、デパ地下での食品買い、それはお金の無駄遣いではないかと私は指摘したいのです。たとえば、銀座あたりのデパートの食品売り場には、100g 3000円もするような高級牛肉を売っていたりしますが、それを買うのはごく一握りの人。
我々庶民は「きっとこれを煮て食べたらうまいだろうな」と想像して心の中で垂涎の思いを味わうだけです。堅実なる生活者を以て任じている私は、そうした高級食品を買うことはしません。それよりも料理の腕前のほうが大切な要素です。そもそも大霜降りの和牛肉やら、大トロの鮪なんか、私はちょっとも食べたいと思いません。ああ、あんなに脂肪が差し入っていてはなあ……と、途方に暮れるような思いで見ているばかり。
さらにまた、郊外の自宅から銀座のデパートまで行くにはずいぶんな電車賃もかかります。車で行けばガソリン代も駐車代もかかる。「駐車代は買い物をすれば2時間までタダになります」と言うけれど、「5000円買えば無料」というような仕掛けですから、どっちみち何千円ものお金を浪費することになるわけですね。
私はそんな思いをして、銀座のデパートで高級な食材を買おうとは金輪際思いません。
ほどほどのお肉を、近所の店で買って、せいぜい丁寧に美味しく調理して食べることのほうが、ずっと「よい生活」だと思っているからです。著者:林 望氏
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