後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

障害者になって思うこと

2017年06月18日 20時49分11秒 | 日記
障害者になって、自分の存在意義に悩みました。生きているだけで家族や周りに迷惑をかけているという事実を受け入れて、罪悪感を感じながら生きていく辛さに耐えていかなければならないのです。
自分が存在しなければ、家族はもっと楽になれる。いなくなったときの喪失感はしばらくのことです。
だけど、人はなかなか簡単には死ねません、生きていて申し訳ないと思っても、死の恐怖が立ちはだかり簡単には死なせてくれません。いつか、頑張って頑張って、それでも身体も心も疲れ果てた時には死ねるのでしょか。

障害者としては、常に周りの人たちに迷惑をかけて申し訳ないと思っていますが、普通の人達は障害者だから面倒なことがあっても仕方がないと思ったいます。
障害者の人は、いろいろ気を使ってもらったり、手伝ってもらったり、仕事も休暇を取るのも申し訳ないと思っていることを気がついていません。
障害者の人が、普通の人達の中で仕事をしたり、生活することがすごく大変でエネルギーを消費することを普通の人には分かりません。こんなに頑張っているのに身体が良くならないと、本当に今日頑張った意味があるのかわからなくなります。まだ、頑張らないといけないの、後どれくらい頑張るとゴールが見えてくるのかな。

病院の医療も介護の内容も助成もすごく中途半端で家族にはすごく負担をかけています。
いつも世の中の隅に置いていかれ、国会でも子供や老人の助成の議題は話しが上がりますが、障害者の福祉については置いてきぼりと言う感じがします。

障害者だから、特別なことを望んでいる訳ではありません。
障害者だからと言う負い目を感じさせない社会になって欲しいのです。

短時間勤務始める

2017年06月11日 21時26分03秒 | 日記
6月1日から、朝8時30分〜15時30分までの6時間の勤務を始めました。今迄より、1時間余り勤務時間が延び仕事の割り当てもちゃんと配分されました。たかが1時間の時間が身体にはすごく負担になり、日が経つにつれ痛みが強くなってきました。とにかくお昼頃から背中の真ん中がズキズキと奥の方から疼いたきます。1時間ごとにトイレに行ってストレッチをします。オシッコは痺れて感覚がマヒしてきています。ウンコもお腹に力が入らず脱肛が飛び出してきます。
毎晩、背中がズキズキ痛くなって、手足の痺れと痛みがどんどん強くなって12時頃まで眠れません。少しうとうとしたところで、手足の痺れで、朝の4時頃に目が覚めて30分おきにうとうとしたところで、6時に起床して顔を洗い歯を磨いて髭を剃ったりして、6時30分に朝食を食べて、10分かけてトイレを済ませ、出せなくても着替えて、お昼のお弁当が出来るのを待ちます。
後は、新聞に少し目を通した子供達と一緒に、7時35分に妻の運転する車で学校へ寄って職場に8時10分頃到着です。そして8時30分から仕事を始めて、リハビリに間に合うように昼休みも仕事をしています。背中の痛みに耐えて仕事を終え、すぐに妻に迎えに来てもらい、16時からリハビリに行き17時30分に病院まで迎えに来てもらいます。
家に帰って、シャワーを浴びて着替えて、15分ほど横になって休み19時頃から晩ご飯を食べて、20時には背中がす痛くて起きていられなくなり、ベッドで横になって携帯でニュースを見たり、ブログを書いたり、ゲームをしたりして、10時頃に部屋の電気を消します。
最近は、仕事中も手の痺れと痛みが強く途中で痛み止めを飲んだりします。
また、同僚たちが土日にマラソンやゴルフやバーベキューの話しで盛り上がっていると羨ましくなります。
さすがに疲れてきました。 週末の休みだけが楽しみです。何もしないでただベッドで横になっているだけです。テレビも新聞も見ません。
リハビリもヤレるだけやっても午後からは背中の痛みと手足の痺れが強くなって挫けそうです。筋肉は少しは付いたけど持久力とコントロールが出来ずによろけて倒れそうになります。自宅でも、ウォーキングしてるけど、ゆっくり歩いて20分が限界です。

それから一番心配なのが、厚生病院の担当医師には身体を直接見て触ってもらったことが一度もないことです。最初に紹介状を持って行った時も紹介状と画像を見て話をしただけで、その後にいくら背中の痛みと歩行障害をうったえても、そういう病気だからと言われただけでした。そのため、京都から応援できている先生に胸椎の靭帯骨化症を見つけてもらったのです。京都の病院に転院する時も戻ってきた時も、その後も一度も触ってもらったことがありません。実際にちゃんと病気と病状を把握してくれているのか心配です
そんな先生に、障害者申請や難病更新、会社に提出する診断書は書いてもらっています。
最近、京都から応援に来ていた先生も2週間に一度しか来なくて相談する先生がいないのが辛い。話を聞い身体を観て触ってもらうだけで安心する。病気の人って、ほとんどがそういう人だと思う。

6月もあっという間に終わりですが、病状はほとんど回復していません。強いて言うなら、背中の痛みが奥の方から突き刺さる痛みが少し表面のズキズキした痛みも変わったこと。でも、リハビリの理学療法士さんには背中の筋肉が少しずつ軟らかくなってきていると言われました。


ごめんなさい。ありがとう。

2017年06月11日 15時25分39秒 | 日記
家族の負担
病気が長引くと家族も疲れてきますし、生活も苦しくなりぎくしゃくしてきます。
本人は病気のことで頭がいっぱいになり、心配や不安で自分のこと以外に気が回らなくなり、気が短く怒りっぽく、そしてひがみっぽくなっていきます。
ささいな身体の異常や痛みでもすごく心配になります。それに対してちゃんとした説明や処置をしてもらえないと不安になり、腹が立ってしまいます。そんなことが重なると医師や看護師さんに不信感を持ったりもします。他の患者さんとの対応に違いを感じて嫉妬したりもします。
家族に対しても、この辛さは本人以外には分かるはずがないとか、病気なんだからもう少し気を使ってくれてもいいだろとか、病気で出来ないんだから代わりにやってくれてもいいだろうとか、病気で収入が減るのだからみんなで協力して節約しないといけないんだからとか、いろいろな不満を口に出してしまいました。
家族はみんなそれなり気を使っ支えてくれていましたが、いつの間にかそれ以上を求めていました。

ある日、自分と同年輩の人がもっと重い病気を患いながらも、明るく冗談を言いながらリハビリを頑張っている姿を何度となく目にしました。たくさんの苦しい思いを乗り越えてきた強さから来る明るさなのかもしれないと思います。いつか、そんな強さと明るさを持ちたいと思います。

妻へ
いつも家族を支えてくれてありがとう。家族の面倒見てくれてありがとう。こんな身体の夫のそばに居てくれてありがとう。会社と病院の送り迎えありがとう。自分勝手でわがままでごめんなさい、迷惑かけてばかりでごめんなさい。

子供達へ
心配してくれてありがとう。迷惑かけるけどごめんね。





リハビリ勤務、2ヶ月目

2017年06月05日 13時12分09秒 | 日記
2017年5月、リハビリ勤務2ヶ月目に入りました。
予定では、もう少し勤務時間を伸ばしていけると思っていましたが、背中の痛みに耐えらず断念しました。
それに、ゴールデンウィークに入り病院が休みになってリハビリでマッサージが受けられず、背中は鉄の様に硬くなり激しく疼く痛みに耐えるしかありませんでした。
そのような中で、外からは地区のお祭りのお囃子やバーベキュー、カラオケで賑わう声が聞こえてきました。みんなが楽しく賑わうほど辛くなっていきました。自分だけが不幸のドン底にいる様に感じていました。
連休が終わり、リハビリでマッサージしてもらい少し痛みが落ち着いたころに、次の課題がやってきました。コルセットをしていてどうしても背中と腰の筋力が低下するため、筋トレを強化することになりました。そうしたらてき面に背中と腰の痛みが強くなって、痺れも強くなり尿漏れや便秘も増えました。
整形の先生は、多少痛くても我慢して続けるように言うので痛みに耐え頑張りました。それでも背中にプレートが入ってボルトで固定されているので背骨の奥から痛みが響いてくるようでした。背骨に埋め込んだボルトかプレートが神経を刺激して痛みが強くなっているのではないかと金沢大学から来ている整形の医師に尋ねたところ、その可能性はあるけど、もうやり直しのきかない大変です手術だった訳だし、それによって大きなリスクは取り除くことができたのだから多少の痛みや小さなリスクは我慢するしかないと言われました。
常に背中や手足の痛みがあって、手足の痺れ運動障害あり、尿漏れた心配を感じながら、生活していることなど、生きるか死ぬかの人にとっては、小さなリスクなのかもしれないけど、普通の患者にとっては大きなことだと思います。
これまでの対応で、患者のことを考えてくれない人たちは、厚生労働省職員、都道府県職員、赤十字病院医師、大学病院医師など大きな組織の中で権利がある人たちばかりです。

足に力が入らず、筋肉の神経も思うように動かせずに、真っ直ぐに歩くことも難しい状態は、退院してからほとんど改善されていません。会社でもほとんど座ったままで、歩くのはトイレに行くくらいです。
車椅子に乗った男の人が、同じ時間帯にリハビリで一緒になります。車椅子から立ち上がる練習を汗だくになりながら一生懸命やっています。自分の足で少しでも歩きたいと言いながら頑張っていますが、何故そんなに頑張れるのですか?、少し歩けた先に待っているのは、もっと辛い現実しかないかもしれないのに。
毎日、寝る前に鎮痛剤と眠剤を飲んでも12時頃まで痛みと痺れが続いて眠れず、朝4時頃には痺れで目が覚めて、ベッドの上で痺れを我慢して、朝6時に顔を洗い、朝食を食べて薬を飲んで、トイレで格闘してウンコを出して、
着替えをして、7時40分に妻の運転する車に乗り会社まで送ってもらい、8時15分頃に自分の席に着いてパソコンを開き、メールをチェックして仕事を始めます。10時頃から背中が痛くなり、後はひたすらに我慢して、お昼におにぎりを2個食べて携帯をチェックして、午後の仕事を始めます。午後2時頃に仕事を片付けて、みんなに挨拶して回り退社します。そして、妻に迎えに来てもらい家に帰ってリハビリに行く準備をして、また妻に病院に送ってもらい、病院で1時間ほどリハビリして、また妻に病院まで迎えに来てもらいます。家に帰ってすぐに30分ほど横になって休みます。この時にはすでに相当の痛みと痺れがあります。
その後、シャワーを浴びて晩ご飯を食べて薬を飲んで、背中一面に自分で湿布を貼ります。以前は妻に貼ってもらっていましたが、忙しそうにしている姿を見て自分で貼るようになりました。
そして、午後8時頃にはベッドに横になり痛みと痺れに耐えながら1日を終えます。
家族との会話もほとんどなくなり、自分の存在がみんなに迷惑をかけていると感じながら生きています。
少ない休職手当では、生活も限界になってきたし、今年はボーナスも出ないので、6月から6時間勤務をすることにしました。一応、給与の70%が支給されるからです。