4月3日、リハビリ勤務を始めました。約4ヶ月ぶりの勤務で、担当していた仕事も変えられ雑務からでしたが、仕事も満足に出来ない状態なので仕方ありません。
事務室内でもフラフラと倒れそうに歩いて、プリンターまで印刷したものを取りに行くのがやっとの状態でした
心配していたとおり、半日も経たないうちに背中が痛くなって辛くなりました。
リハビリ勤務で休職扱いなのですが、朝8時30分から午後1時30分までの5時間勤務して、その後一旦家に帰って横になって休んで着替えてリハビリに行くというようにしました。
それでも、夜は病院に入院していた時のように背中と手足の痺れと痛みが強く、身体中が疼いて眠れませんでした。そのため、午前7時、午後12時30分、午後7時、夜中12時、朝4時と痛み止めを何種類かずつ飲んで対応しました。また、オシッコがしたい時、した後など痺れと痛みが続きました。
それから、このリハビリ勤務により、妻には会社の送り迎えの後に病院への送り迎えもお願いすることとなり大きな負担をかけることになりました。
辛いながらなんとか1週間を乗り越えて、2週間目に入ってから仕事が割り当てられました。割り当てられた仕事を終わらせようと勤務時間が少しずつ長くなって、午後2時過ぎまで勤務するようになりました。また、仕事が割り当てられたことにより会社を休めなくなりました。これにより心理的にかなり追い詰められた状態になり、少し精神状態も不安定になりました。
厚生病院の担当の先生に、痛み止めを増やしてもらい背中に注射をしてもらいしながら耐えました。
4月19日、京都府立大病院の定期受診の時に背中に強い痛みがあることや手足の痺れと痛みが強くなっていることを相談しましたが、今はいろいろと背中に負担がかかっているので我慢するしかないと言われました。これ以上は治療法がないのだと思いました。
毎月終わり頃になると決まって、身体も心もダメになります。ひと月頑張ったのに、身体の痛みも痺れも麻痺も少しも良くならなかった、来月もこれから先もずっと良くならないのではないかと不安になります。
リハビリしながら前進と後退を繰り返し、痺れと痛みに耐え痛みを受け入れ、少しずつ運動機能を回復して行く。これがこの病気になった宿命であり現実なのです。
結局、5月も休職を延長してリハビリしながら勤務をすることにしました。
自分の病気は、自分が思っていた以上に厳しい、これを乗り越えた行くには強い気持ちと支がないと困難なことだと思いました。
事務室内でもフラフラと倒れそうに歩いて、プリンターまで印刷したものを取りに行くのがやっとの状態でした
心配していたとおり、半日も経たないうちに背中が痛くなって辛くなりました。
リハビリ勤務で休職扱いなのですが、朝8時30分から午後1時30分までの5時間勤務して、その後一旦家に帰って横になって休んで着替えてリハビリに行くというようにしました。
それでも、夜は病院に入院していた時のように背中と手足の痺れと痛みが強く、身体中が疼いて眠れませんでした。そのため、午前7時、午後12時30分、午後7時、夜中12時、朝4時と痛み止めを何種類かずつ飲んで対応しました。また、オシッコがしたい時、した後など痺れと痛みが続きました。
それから、このリハビリ勤務により、妻には会社の送り迎えの後に病院への送り迎えもお願いすることとなり大きな負担をかけることになりました。
辛いながらなんとか1週間を乗り越えて、2週間目に入ってから仕事が割り当てられました。割り当てられた仕事を終わらせようと勤務時間が少しずつ長くなって、午後2時過ぎまで勤務するようになりました。また、仕事が割り当てられたことにより会社を休めなくなりました。これにより心理的にかなり追い詰められた状態になり、少し精神状態も不安定になりました。
厚生病院の担当の先生に、痛み止めを増やしてもらい背中に注射をしてもらいしながら耐えました。
4月19日、京都府立大病院の定期受診の時に背中に強い痛みがあることや手足の痺れと痛みが強くなっていることを相談しましたが、今はいろいろと背中に負担がかかっているので我慢するしかないと言われました。これ以上は治療法がないのだと思いました。
毎月終わり頃になると決まって、身体も心もダメになります。ひと月頑張ったのに、身体の痛みも痺れも麻痺も少しも良くならなかった、来月もこれから先もずっと良くならないのではないかと不安になります。
リハビリしながら前進と後退を繰り返し、痺れと痛みに耐え痛みを受け入れ、少しずつ運動機能を回復して行く。これがこの病気になった宿命であり現実なのです。
結局、5月も休職を延長してリハビリしながら勤務をすることにしました。
自分の病気は、自分が思っていた以上に厳しい、これを乗り越えた行くには強い気持ちと支がないと困難なことだと思いました。