後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

リハビリ勤務、ひと月目

2017年05月25日 20時47分32秒 | 日記
4月3日、リハビリ勤務を始めました。約4ヶ月ぶりの勤務で、担当していた仕事も変えられ雑務からでしたが、仕事も満足に出来ない状態なので仕方ありません。
事務室内でもフラフラと倒れそうに歩いて、プリンターまで印刷したものを取りに行くのがやっとの状態でした
心配していたとおり、半日も経たないうちに背中が痛くなって辛くなりました。
リハビリ勤務で休職扱いなのですが、朝8時30分から午後1時30分までの5時間勤務して、その後一旦家に帰って横になって休んで着替えてリハビリに行くというようにしました。
それでも、夜は病院に入院していた時のように背中と手足の痺れと痛みが強く、身体中が疼いて眠れませんでした。そのため、午前7時、午後12時30分、午後7時、夜中12時、朝4時と痛み止めを何種類かずつ飲んで対応しました。また、オシッコがしたい時、した後など痺れと痛みが続きました。
それから、このリハビリ勤務により、妻には会社の送り迎えの後に病院への送り迎えもお願いすることとなり大きな負担をかけることになりました。
辛いながらなんとか1週間を乗り越えて、2週間目に入ってから仕事が割り当てられました。割り当てられた仕事を終わらせようと勤務時間が少しずつ長くなって、午後2時過ぎまで勤務するようになりました。また、仕事が割り当てられたことにより会社を休めなくなりました。これにより心理的にかなり追い詰められた状態になり、少し精神状態も不安定になりました。
厚生病院の担当の先生に、痛み止めを増やしてもらい背中に注射をしてもらいしながら耐えました。
4月19日、京都府立大病院の定期受診の時に背中に強い痛みがあることや手足の痺れと痛みが強くなっていることを相談しましたが、今はいろいろと背中に負担がかかっているので我慢するしかないと言われました。これ以上は治療法がないのだと思いました。
毎月終わり頃になると決まって、身体も心もダメになります。ひと月頑張ったのに、身体の痛みも痺れも麻痺も少しも良くならなかった、来月もこれから先もずっと良くならないのではないかと不安になります。
リハビリしながら前進と後退を繰り返し、痺れと痛みに耐え痛みを受け入れ、少しずつ運動機能を回復して行く。これがこの病気になった宿命であり現実なのです。
結局、5月も休職を延長してリハビリしながら勤務をすることにしました。
自分の病気は、自分が思っていた以上に厳しい、これを乗り越えた行くには強い気持ちと支がないと困難なことだと思いました。

苦しい通院リハビリ

2017年05月21日 20時07分56秒 | 日記
2017年1月27日退院して、1月30日から地元の病院で妻の送迎により通院リハビリを開始しました。
会社には、2月末まで病気休暇を申請しました。妻は母親と義母の介護と夫の病院の送迎、子供達の世話と外に働きに行く暇など無く、自分も休暇中の給与は6割しか支給されないので、出来るだけ早く職場復帰したいと思っていました。リハビリを頑張れば事務仕事ならコルセットを着けて出来るようになると、京都府立医大の先生も言っていました。
それに、病気になってから妻も仕事を辞めて収入がなくなり、住宅ローンと教育ローンの返が経済的に大きな不安となりました。県や市役所に相談してみたけど助成を受ける制度はありませんでした。
リハビリは、毎日40分から60分の時間を午後の時間に入れてもらいました。リハビリまでの時間はベッドに横になってテレビを見ていました。とにかく、背中が痛くて起きていることがたまらなく苦痛でした。2時間続けて座っていられるようになったのは、リハビリを開始して2週間は辛くて毎日泣き言ばかりでした。3週間が経ち職場復帰をひと月延ばすことにしました。リハビリを開始してひと月が経っても、背中が痛くて半日も続けて座っていることが出来きず、手足は痺れと痛みが強くて職場復帰どころではありませんでした。
3月に入っても、状態は少しも良くなる様子も無く悲観的になって行く一方で、リハビリの前に受ける診察では、金沢大学病院から応援に来ている医師から、その病気は治る病気じゃないからいろいろ言われてもどうしよもないとか、痛みの原因を相談したところカルテを最初から観ている時間がないから主治医に受診して聞いてとか冷たい態度を取られました。その医師にしてみれば、週1回の応援で面倒なことに首を突っ込みたくなかったのでしょうけど、痛みに苦しむ患者にとっては辛い対応でした。それ以降もその医師からは症状を聞かれこともなく、ただリハビリカードを渡されるだけでした。
それでも、リハビリのスタッフの人たちはみんな親切で暖かく励ましてくれました。
3月21日、京都府立大病院を受診、装具が硬性コルセットから軟性コルセットに変更になりました。軟性コルセットになるも、背中の筋肉に負担がかかるので3ヶ月は装着するように言われました。その際に背中の痛みや手足の強い痺れと痛み、麻痺を相談しましたが、レントゲン検査では手術後の経過に問題は無く、痛みは背中の筋肉が委縮しているからだろ、リハビリを続けて行けば少しずつ改善していくだろと言われました。
毎日リハビリに通い、3月下旬に、ようやく半日は座っていることができるようになりました。それでも周期的に痺れと痛みが強くなって心が何度も何度も、もう限界だと悲鳴をあげました。

職場復帰は困難な状態でしたが、このまま休職を続けていると解雇されるのではないかとの不安が大きく、家に居ても良くなる訳ではなく、4月から半日のリハビリ勤務をすることにしました。
自宅でのリハビリで近くを散歩するのも、よれよれの状態で近所の人と会うのを避けてました。


脊椎の拡張手術

2017年05月21日 19時54分23秒 | 日記

入院した部屋は、手術が近い患者や手術が終わってすぐの患者、重症患者が入る部屋でした。
入院してから手術するまで検査もたくさん受けました。
それから手術の説明がありました。妻と一緒に聞きましたが、神経を圧迫している脊椎の骨を後側から削って開いて、脊椎7本をプレートとボルトで固定すると言われました。背中が曲がると骨化した靭帯が神経を圧迫するから曲がらないように固定すると言われましたが、そんなことをして日常生活ができるのか、支障が無いのか、他に方法がないのか先生に尋ねました。手術後半年ほどコルセットを着けなければならない、コルセットが取れても背中を固定するのである程は支障が出るが生活するのには問題無い、手術方法は教授とのカンファレンスでもこの方法が一番適切とのことだったと言われました。妻は先生の言うことが一番と納得していましたが、私は背中を曲がらないように固定すると聞いて、もっと身体に優しい方法がないのか不安でたまりませんでした。
12月15日、手術の当日が来て覚悟を決めました。
朝9時、ストレッチャーで手術室に入って行きましたが、途中に幾つもの手術室がありその先にもまた幾つもの手術室が見えました。手術室に入って点滴を始めてから意識がなくなりました。
手術が終わり目が覚めたのは、18時過ぎに病室の中でした。妻の心配する声が聞こえましたが、身体が重く怠く、背中の中から湧き出る痛みで頭も麻痺していました。先生が来て手術は無事に上手く終わったと言っていたと思います。翌日も一日中、ただ天井をながめながら痛みに耐えて誕生日を迎えました。
手術して4日目にベッドで起き上がれ、5日目に歩行訓練が始まり、7日目にトイレでウンコが出せました。妻は、認知症の母親と義母の二人の面倒を見ながらも週に一度の割合で来てくれました。クリスマスもお正月も家族と離れ病室で過ごしました。毎日、リハビリを懸命にやりましたが、なかなか上手く歩けず、夜になると背中が疼くように痛くなって手足も痺れ眠れませんでした。
手術してひと月経って、そろそろベッドを開けて欲しいと言われましたが、背中の痛みと手足の痺れは相変わらずで病院内の歩行がやっとの状態であり、なんとか10日ほど退院を延ばしてもらいました。この後、地元の病院に通院してリハビリすることになりました。
同室の人で肉芽腫の病気の人は、眼の手術をして足の手術をしてまだ車椅子に乗っていました。自分より重い病気で苦しんでいる人、もっともっと頑張っている人はたくさんいるとは思っても、自分の辛さしか考えられません。ついつい、痛い、苦しい、辛いと言ってしまいます。
退院するときは、先に自分で退院手続きを済ませ、妻が迎えに来るのを待って、タクシーで駅まで行き電車に揺られて、すごく辛い思いをして帰りました。
その日は、家に帰れて嬉しい半面、背中の湧き上がるような痛みと、手足の疼くような痺れのため眠れませんでした。

京都府立医大受診

2017年05月14日 14時45分07秒 | 日記
2016年11月
赤十字病院を受診して、この病院での治療は無理だと思いました。やはり、信頼できる医師のいる病院でなければ治療は続けていけない、今回の傷病を見つけてくれた厚生病院の先生に相談しようと思いました。
それから土曜日に厚生病院を受診して、京都から来ている先生に相談したところ、今回の胸椎の手術は上部と下部に患部があり手術方法が難しいので大学病院が良いと言われました。先生が籍を置いている京都府立医大病院に紹介する言われましたが、京都までは遠いし退院してからの通院も大変だし、地元にも大学病院はあるし迷いました。
先生に言われた、この病気で死ぬようなことはないけど、元どおりに治ることもないのが辛いところだから進行を止めて、リハビリして少しでも戻すしかないとの言葉がすごく心を重くしました。
そうこうしているうちに、歩行障害がどんどん悪化してきて、オシッコの前後に痺れや痛みが出てきました。
もう迷っている時間はないと思い、次の土曜日に先生に京都府立医大への紹介状を書いてもらいました。
その後、頚椎の手術データをもらいに赤十字病院へ行き、冠動脈血管のステント手術をした病院へもデータをもらいに行ったりして、結局ひと月近く時間がかかってしまいました。

2016年12月5日、京都府立医大病院を受診
午前9時30分までに受付するように指示されて、一人で朝7時前の特急電車に乗り京都へ向かいました。病院へは、9時過ぎに着きましたが、インターンによる予備診察やレントゲン撮影があり、ずいぶんと待たされ診察を受けたのは、午後1時頃でした。先生は、僕が持参したデータと症状を聴きとり、身体を検査してから早めの入院を勧めてきましたが、病院のベッドの空きが無く、手術室も12月25日以降でないと空きがない状況でした。その後で入院前検査を受け会計が終わったのは、午後3時を過ぎていました。
それから京都駅までタクシーに乗り、帰りの電車の切符を買って電車に乗り、妻に駅まで迎えに来てもらい、ようやく自宅に着いて横になることができました。その日の夕方6時過ぎに京都府立医大病院の先生から電話がかかって来て、急にベッドが空いたとのことで明後日に入院するよう勧められお願いすることにしました。
翌日、会社に出勤するとすぐに、明日から入院させていただきたいとお願いし、忙しく残務整理と仕事の引き継ぎを行いました。
12月7日、入院するために、朝8時過ぎの電車に乗り一人で京都に向かいました。
京都府立医大病院に入院した翌日に先生が来て、緊急で手術室を押さえることができたので、12月15日に手術を受けることとなりました。紹介状を書いてもらった日から、血液をサラサラにするクロピドグレルも休薬していたのも幸いして日程を組むことができました。




症状悪化は検査の見落とし?

2017年05月13日 11時56分24秒 | 日記
転院
地元に戻ってからは、手術を受けた病院とは別の病院でリハビリを再開しました。理由は、手術を受けた赤十字病院は急性期対応病院のため、回復期のリハビリは出来ないという理由から回復期病院に回されたからです。
前の病院からデータを貰って、新しい病院に渡しましたが、担当なった医師からは、リハビリはして行くけど身体に不具合が生じたら、直ぐに手術を受けた病院を受診するように言われて不安になりました。元々自分の患者じゃないから責任持てないと言われているようなものです。
これも、国の医療制度のため、医療費削減のためとのことですが、犠牲になるのは弱者です。口惜しです。

毎日、水曜日に午後から休みを取り、土曜日と合わせて週に2日、リハビリに通いました。
以前の赤十字病院では、患者さんのリハビリを二人同時に一人の理学療法士が担当してそれぞれに自主トレをさせられていましたが、厚生病院ではマンツーマンで横にいて指導してくれます。
でも、リハビリを続けていても手足の痺れと痛みは増しているように感じていました。通勤でも足に力が入らず、歩きにくくなっていました。横断歩道を渡るのも時間がかかり途中で点滅から赤に変わっても渡りきれないこともしばしばあり、駅の階段も上がれずエレベーターを使わないといけなくなりました。そして、オシッコをしたい感覚がおかしくなって、常に痺れるような感じがして、オシッコがしたいと思いトイレに行っても少ししか出ずに残尿感と尿漏れ痛みが頻繁に出てきました。
さすがに心配になり11月に入ってすぐに、リハビリを受けている病院の先生に相談しました。その日は土曜日で患者さんが多くて担当医師ではなく、他の病院から応援に来ている先生でしたが、症状の悪化を説明して検査をお願いしました。先生は、前の手術した病院の検査データを見て、首と腰のMRIは検査してあるけど背中の検査はして貰ってないのか聞いてきました。検査してないと答えると、翌週の土曜日に検査をして結果を見るということになりました。MRI検査の予約と、その先生は京都から来ていて、毎週土曜日しか診察していないからでした。
翌週予定どおり、背中のMRI検査を受けたました。その結果、胸椎にも広い範囲で後十字靭帯骨化症による神経圧迫が見られると画像を見ながら説明を受けました。第4〜5胸椎、第8〜10胸椎に靭帯が太くなって飛び出ている部分が神経を圧迫している状態でそのような症状が出ている。歩行障害や排尿障害が出ているなら、それ以上進行させないために手術を受けた方が良いと勧めらた。普通は、頚椎に後十字靭帯骨化症が見つかること、胸椎も腰椎も検査するものたけどね〜。どちらにしても、ここの病院では胸椎の手術は出来ないから、手術して貰った病院データを送るから相談して来なさいといわれた。

これって検査ミス? 再手術、どんな手術?、治るの?…突然、いろいるな不安が押し寄せて来た。しかし、首の時のように手術が遅れて悪化させるのが一番心配てした。

意を決して、週が明けて、以前に頚椎の手術を受けた福井赤十字病院の担当医師を訪ねました。
ところが、その時の担当の先生は病院を辞めて実家の病院に戻ってしまったので、私がデータを引継いでおりますので、お聞きしますと若い先生が対応してくれた。そこで、これまでの症状や治療経過と赤十字病院では検査して貰えなかった胸椎から、神経を圧迫している後十字靭帯骨化症が見つかったので治療の相談に来た旨と、どうして頚椎、腰椎の検査をしながら胸椎の検査をしてくれなかったのか話しをしたころ、急に態度を変えた。
私は、前任者からデータの引き継ぎを受けているだけなので、そういった詳しい話は分かりますせん。こちらの病院で治療するということでしたら、予約を入れますので、紹介元の病院からの紹介状と検査データを持参して受診してくださいと言われました。でも、私はまだこの福井赤十字病院の患者で定期受診も受けているのだから、直ぐに検査の予約とか入れて治療して欲しいとお願いしましたがダメでした。
本来自分は、福井赤十字病院の患者で、リハビリするために福井厚生病院を紹介して貰っただけで、病気が悪化したらと言って誰かを責めるつもりはないのに、紹介状を持ってこいだの、自分は担当していなかったからとか逃げられるように対応しないで欲しい。
でもそうだよね、誰もこんな中途半端な状態の難しい患者を引き取りたくないと思う。
すごく悲し思いをしました。

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