hikoichi1185

むかし、昔(元和元年)湖北の山里に、「ひこいち」爺さんと「かたの」婆さんが、仲良く暮らしていました。我がルーツです。

UFRコントロール機能付き人工透析装置の開発

2016年04月16日 | 日記
今から35前の今日、1981.04.16 の会社創立記念日に社長賞
を頂いた。表彰対象は
「除水量を正確にコントロールできる人工透析装置の開発」
人工透析は人工腎臓(ダイアライザー)で主に血液中の①老廃
物の除去 ②水分の除去 をする。当時、②の水分の除去は、
血液の圧力と透析液の圧力(TMP)を調整し除水量を推定して
いた (主に血液側の圧力を高める為、血液ポンプで送られた
血液をダイアライザー出口の血液回路のチュ-ブを鉗子で微
妙に挟み閉塞気味にする) 治療中TMPの調整は頻繁に行わ
れ、除水量も大きくズレる事が多々あり、熟練を要するベテ
ランでも至難の業で、Dr・技師泣かせで有った。

我々が開発したのは、透析液を密閉して除水する方式で、
除水スピード、除水量を任意にかつ正確に設定でき、除水量
性能は1%以内 (例:除水量3,000gに対して誤差30g以内)
という優れもの。
開発理由は、当社のダイアライザーが水抜けが良すぎてTMP
調整による除水量管理が極めて困難。怖くて使えないと販売
のネックになっていた。
開発当初はたった一人で、全く使い物にならず、コツコツと
粘り強く改善を重ね、約2年で臨床試験にこぎ着けた。

この新透析装置では煩雑なTMP調整は不要となり、熟練技師
でなくても除水量管理が可能となった。 患者の体重管理にも
大きく寄与し、Dr・技師泣かせは解消された。ノーベル医学
賞には程遠いが人工透析学会のノーベル賞ものと思っている。

1974.07. :新透析装置の開発を開始
1976.11.08:新透析装置 M-1000 初臨床試験(T女子医大)


1977.03.00:ASAIO(カナダ・モントリオール) M-1000出展
1977.04.26:大阪 S病院でM-1000臨床試験


1978.03.02:仙台 NクリニックでM-1000臨床試験
       当社ダイアライザー初使用

1978.05.09:UFC-11の臨床試験(K第一赤十字)
1978.06.07:UFC-11販売開始

お宮参り

2016年04月08日 | 日記
近江神宮で孫・笑花のお宮参り。写真館で幸花と記念撮影。

家内の産着を着せて抱っこする大役はこれが最初で最後か?。


拝殿は我々一組だけで独り占め。神職の祝詞が心地よく響く。

境内の桜も祝い満開。孫の健やかな成長と幸せを祈るばかり。



写真館撮影

お宮参り帰宅後。

園山の花見-2

2016年04月02日 | 日記

昼食はカレーライス。

孫と一緒に散歩がてら園山の花見。桜が満開で大変美しい。
「この煙突の近くでお父さんが今お仕事してはるよ」と言う
と、孫は「おとうさ~ん」と大声で呼んだ。
「きっと聞こえたよ」と言うとニッコリした。


孫とツーショット。
今宵は職場単位の花見の宴か、所どころ場所取りされてた。


04/04 町内の遊園地で滑り台、シーソーで遊ぶ。