安田よしひろ 駅立ちブログ!

日本の安寧。未来への責任。次世代の幸せを憂い、創る。

共生社会の平等

2019年02月27日 | 駅立ち
PTAは社会の縮図。小学生は、たまたま近所に住んでいる同年齢の子とクラスメートになる。アトランダムに集まった統計サンプルのような集団と似ている。それが中学の部活、高校の進学、大学の専門、会社の風土、趣味などといったように、どんどん共通の価値観を持つ人たちとの関係が強くなる。

それがPTAでは振り出しに戻って、価値観の全く違った大人が偏りなくもう一度集められる。さらに、それぞれの価値観だけでなく生活の事情も全く異なってクラスに帰ってくる。そこは言わば、障害も持つ人や異文化の方もいるような共生を目指すべき集合体と捉えた方が良い。

それなのにPTAという装置は、平等という名で全てのメンバーに同じ役員を強いようとする。だから無理が生じている。もし、我々の事情や能力が同じならばそれで良い。でもそんなことは奇跡に近い。みんなが違うという認識から始めないと、PTAの平等原理は弱い立場の人を追い詰める装置として働くことになる。市や先生は、共生社会の人権問題を啓発しつつも、PTAの共生問題には口出しできない。だから保護者でやらなければ。

平等にも結果の平等と機会均等の平等という違いがあるように、PTAの平等にも個々の事情を認め合う「寛容」という観点が必要なのだ。理想は、やってもらえる人に気持ちよくやってもらい、やれない人もやれる時だけは気持ちよく参加してもらうこと。だからくじ引きで役員を決めるのはたいへんではあるけれど出来るだけやめた方がいい。その代わりに役員をやってくれる人に対して「物好きがやっている」とか「あの人、偉そうにしたいだけじゃない?」とか(でも本当にたまにいる)、「説明が悪いから参加しない」「責任をとれ」とか言わず協力すること。それがルール。

それでも何か言ってくる人もいる。でも負けずにそんな文化を残せるようにしていこう。未来とは、子供たちが生きていく世界のことを言うのです。自分の体の一部なんです。



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