安田よしひろ 駅立ちブログ!

日本の安寧。未来への責任。次世代の幸せを憂い、創る。

柴山昌彦元文部科学大臣と、経済 環境 平和を語る!

2023年02月26日 | 政治


安田よしひろ後援会主催 3月17日19時より
柴山昌彦元文部科学大臣と私で「経済、環境、平和」をテーマに、国と所沢の未来について考える会を開催致します。

事前のご登録手続きを完了して頂ければ、無料でどなたでもご参加頂けます。
ご希望の方は、メールなどで安田まで直接ご連絡頂きたくお願い申し上げます。

奉郷

2022年12月21日 | 政治

人は大自然に抗うために信仰を、戦争の度に法律をつくってきた。
火事消すために、泥棒を捕まえるために行政をつくってきた。

指摘するだけなら簡単。平和だから出来る。
稲盛名誉会長は、自らを生かし公に貢献せよと説いた。

泣いている人が、いつもいることは皆知っている。
他人事にせず、色々なことをどれほど自分事にできるかという目標も良いと思いませんか?

先人への感謝と、未来への責任
郷土に身を奉ずる理由

これが道かぁ

2015年04月26日 | 政治
中学生の時、何度もサイクリングに出かけた新緑の奥武蔵を一人で辿ってみた。
こんな風に道が別れていたんだっけ…。
この坂は全力で下ったっけ…。
自分が通った道を辿るのは懐かしい。

辛かった坂道も、通った全ての道は思い出というより自分の財産になっていた。

その後、関八州を見渡して自分の小ささを知る。心も晴れて行ったことのない道を選んだ。
写真はそこで見た新緑のパッチワーク。
この道を選ばなければ出会えなかった素晴らしい光景。
あの角を曲がろうと決めなければ出会えなかった。

市議12年で感じたもの、県議挑戦で知り得たもの。
ありがたい自分の財産なんですね。

ラジオから偶然にフランク・シナトラのマイウェイが流れた。目から自然に涙が溢れた。

これが道なんだなぁ。
また、学ばせて頂きました。

森の議会 3

2015年02月25日 | 政治
森の議会の話 3です。
白いうさぎは「気持ちをつなげたか」と聞きました。
意見が違うのは悪いことではないのに、それをグループごとの足し算で結論を出そうとしてしまいました。議論の質は声の大きさでも数でもないのに、それを量に置き換える繊細な場面を乱暴に扱ってしまったことになります。
ここを大事にしないと、こういう案の方が良かったのではないかと後で聞かれた時に説明がつかないことが多くなります。

例えば、10が良いというグループと6が良いというグループが、お互い妥協しないで多数決してしまえば、本当は8が一番良くても、6や10で決着してしまいます。住民投票でも10と6を選べと言われてしまい、9や8や7を選べない理由を説明出来ませんでした。気持ちをつなげようと思えば、少なくとも9か7を選べということになったかもしれません。

続けて、白いうさぎはみんなに聞きます。
「子供うさぎはどんな机が欲しいのか?」ここのポイントは、大人のうさぎがどんな机をプレゼントしたいかではなく、子供うさぎが何を欲しいかが大事ということですよね。
先の話で言うと、子供うさぎがもし8の机が欲しかったのであっても、間接代表に委ねればもう8の机は手に入らなくなります。

住民の福祉の増進は、必ずしも議員各々が持つ正義を力で示すことでなく、あくまで住民が何を求めているかを見つめて示されるもの。議員は議会の構成員として、個別的事案の解決だけでなく、市民全体の福祉の向上を目指すことが求められます。

もう一つ、白いうさぎは聞きます。
「同じ気持ちになろうとはしなかったのか?」この意味は、もちろん意見を言った後の“討議”というプロセスのこと。
私は、意見を言った後になぜすぐに多数決を取らずに討論があるのか、無駄な儀式が残っていると感じていました。多くの議会で本会議の委員長報告の後に、討論・採決へと日程が移りますが、その間に賛否が覆るようなことはほとんどありません。

議長を決める選挙などの議会内人事案件では誠に器用に最終日まで妥協案を交渉したりするのですが、議案に関する決定にはそのような努力が頻繁に起こりません。議員は、議会の機能を発揮するため、積極的に議員相互間の自由討議に努め、議論を尽くしていかなければなりません。
議会は住民投票にならないように、最小経費で最大効果をあげなければなりません。白黒うさぎたちは、そこを怒っていたのですね。

以上、長々と綴らせて頂きましたが、まとめると以下が住民投票で私の学ばせて頂いたこと。。
直接民主制と間接民主制の限界を知識として携え、そして討議の重要性を文化として培っている議会こそ目指すべき議会でありました。

そして議会改革では、ルールを変えることより、文化を変えることの方がもっと重要だということに気付きました。12年間の議員生活でよく理解出来ていなかった点をいまさらながら反省しています。
それと最後に、物語に出てくるキツネとタヌキは、マスコミとキャスターたちです。グルになって他人事を飯の糧にしているように感じたからです。

それでは。長い間、お付き合いありがとうございました。


森の議会 2

2015年02月24日 | 政治
さて、茶色のうさぎと灰色のうさぎは考え方が違っていました。これは、とても大事なことで、首長と違い多方面から論点を明らかにするためには有効です。議員の数が少なくなればこの機能は損なわれます。また、数が多いと意見を集約することが困難になるので、ほとんどの議会では会派制を布いています。

本来、地域のことは政党などの国政にあまり左右されるべきではないかもしれませんが、会派はほとんど公党の影響を受けていたりします。
ここに地方議会における間接民主制の危うさが見え隠れしてきます。森の中でも茶色いうさぎと灰色のうさぎは、目的である子供うさぎのことはそっちのけで、それぞれの仲間を集め始めました。本来の目的ではなく威信をかけた単純な勝ち負けにすり替わってしまったようですね。
うさぎの森では子供の家族は結果が出ても何だか釈然としませんでした。政治的な思惑という黒いうさぎがいたのですが、とても隠れるのが上手で、ここには間接民主制の限界が見え隠れします。

さて、議会制度はいくら調査をして論点を明らかにしても、結局は数で決まってしまいます。これはこれでしょうがないことで、多数決でも結果は議会の意思となり、議員もそれを了としなければなりません。ですからポイントはそこまでのプロセスがどうだったかということになります。

もちろん、少数意見を尊重することはよく言われていることですが今回のポイントはそこではありません。議員は調査、質疑、意見、討論という流れの後に、議案を採決していきますが、うさぎの森の中では一体どういうことが起きたでしょう。
そうです。白いうさぎの登場ですよね。何と言ったのでしたっけ?

明日で最後になります。もうちょっとお付き合い下さい。


森の議会 1

2015年02月23日 | 政治
3日間にわたってお届けさせて頂いた「うさぎの森の話」の表題には、間接代表という造語を使いましたが、正式には代表民主政治における間接民主制というべきで、議会制民主主義とほぼ同じ意味です。

憲法解釈では、国政レベル、地方レベルにおいても間接民主制を基本とし、直接民主制を間接民主制の補完物と捉えている方が多いと言われています。
住民投票に代表されるような直接民主制こそ民主主義の原点だという議論もありますが、様々な問題が指摘されています。

先ず、所沢の住民投票で感じたことですが、お父さんうさぎとお母さんうさぎのように、同情や信条、つまり「かわいそう」「あまやかすな」といった感情的な判断をする方々には、費用や効果といった客観的な情報を受け入れる気配はあまりありませんでした。
ここは直接民主制の一つの危うさです。

次に、お婆さんうさぎのように、住民投票の設問の内容や情報を理解することが困難な場合があります。実際に私の母も文章を何度みても分からず、何に〇をつけるかの投票方法を理解するのさえ困難でした。
これも直接民主制の危うさであり、諸外国ではマイノリティの権利を侵害するような決定を行ってしまう可能性すら否定できません。

また、お爺さんうさぎのように、普通の生活をしている方では、知りたい情報を調査をする時間や費用、場合によっては権利さえ制限されてしまっています。
議員に調査権や政務活動費、議会図書館等があるのはこれを乗り越えるためのものだと理解しています。

つまり、直接民主制が補完的と位置付けられる理由の一部にはこのような限界があるからなのかと感じました。だから、議員と議会がつくられたのです。
代わりに、調べ、論点を明らかにし、決める。茶色のうさぎと灰色のうさぎはまさしく議員として、森の広場は議会として機能するようになります。

明日は、間接民主制の限界についてお届けします。
つまらない話しかもしれませんが、もう少しお付き合い下さい。



「所沢市地域がつながる元気な自治会等応援条例」賛成討論。

2014年06月28日 | 政治
所沢市議会6月定例会 最終日に私が賛成の討論をしたものの中で、議案第69号「所沢市地域がつながる元気な自治会等応援条例制定について」の部分を抜粋して報告します。


 所沢市の前期基本計画のコミュニティ推進に関する課題には、自治会・町内会等の地縁的コミュニティ組織とボランティアやNPO等のテーマ型コミュニティ団体との連携による取り組みを進めると、掲げられています。この条例は本市の自治に関する基本的規範である自治基本条例に定める地域コミュニティのうち、自治会等に関し、そのあり方や市の責務等についての考え方を具現化したものです。では、以下賛成の理由を申し上げます。

 日本では介護保険制度がない時代、そんな高度な制度がつくれなかった時代、日本の政を司るもの達は、生産力のない年寄りを大事にするために、道徳を普及させることによって、親や年寄りを大事にする世の中にしてきたのかもしれません。食べ物がなく飢え死にしていく時代、犯罪が多い世の中では、近隣での助け合いを文化としてきたはずです。こうした風土によって培われてきたイエ、ムラ、カイシャの「縁」に象徴される典型的な日本型社会は、「世間体」「プライベート」「嫁・姑」等の束縛からの逃れようとする個人を重要視する思想と対立をしながらも、戦後の経済成長期までは根強く保たれていました。

 しかし90年代に入り、高齢化社会の進展、不景気による若者の就職難、都市型生活へのあこがれ等の影響を受け「個人」を重視した生き方が徐々に増えていき、「孤独」「孤立」「無縁」といったキーワードが日本を席巻していました。そんな時代に、東日本大震災が起こり、改めて自然への畏敬と近所の助け合いの重要性が再認識され、国民の意識に大きな変化をもたらしました。人間の責務のすべてが本人の意思の産物ではないことを現在の日本人も少しずつ考え始めたのだと思いました。

 少し話が変わりますが、私達の地域では、人が亡くなった時の仮出棺の際には近所の方々が集まり手を合わせる門送りという風習がかろうじて残っています。以前に、私が配食サービスの担当をしていた一人暮らしのおばあちゃんが亡くなった時に、近所の方が門送りをしてくれていたことが忘れられません。門送りの風習は行政サービスでは補えないものだと感じたものでした。

 また少し違う話ですが、私の父が亡くなった時に、一緒に涙を流してくれた看護師さんと冷静な顔の看護師さんがいらっしゃいました。毎日の仕事ですから医者や斎場の職員は基本的には泣いていられません。ご遺族のように悲しんでいたら仕事にならないので、看護師も泣かなくなるのだと感じました。概して専門家や職員は泣かなくなることも理解した記憶があります。

 さらに、市内全域に起こるような大規模な災害時には市の職員や消防隊は基本的にすぐには助けには来ないという心構えをしておくべきだと思います。また、警察官や救急車の数、病院や介護施設の数は安心の一部分であることを忘れてはいけません。行政サービスでは作り出せない「そこはかとなく感じることのできる安心感」や「人間の尊厳」は、心を寄せてくれる人が近隣の方々の中にどれほどいるかにも関わってくるものだと私は信じています。

 そういった活動は、なにも自治会や町内会でなくても、ボランティアやNPOで補えば良いという意見を言う方がいらっしゃると思います。10年ほど前から、所沢市では社協などを中心に地域福祉ネットワーク事業が展開されています。ご尽力頂いた多くの方々には感謝を申し上げます。しかし、地域福祉ネットワークだけで市内全域の福祉の補完的サービスを賄えるような様子は残念ながら伺えません。

 また、地域福祉計画の理念には、地域福祉推進のために地域の限られた資源を有効に活用しながらその水準を上げていくことが求められています。人々が個々のニーズを充足するため、問題を解決するために利用できる有形無形のあらゆるものを「社会資源」と言いますが、地域福祉に関する多くの社会資源は、それぞれの地域事情や文化に合わせ、有機的なつながりを持ってコミュニティを形成していくために最大限に活用されるべきです。

 そのような理由で、所沢市は引き続き、テーマ型に力を注ぎながらも、地域で中心的な役割を担う自治会・町内会をはじめとする地域のコミュニティ団体の活動に対し、側面からの支援を強化することは非常に意義のあることだと思います。介護の要支援サービスが市町村の要件になってくる時代に、そこはかとない安心感を地域で紡ぎだすためにも、まだまだ地縁的コミュニティを衰退させる訳にはいかないと私は考えています。
 
 強制的に加入させられるといったご意見もありますが、自治会等への加入や参加は、強制されるものでないことは言うまでもありません。条文の随所に地域住民の自主的、主体的な自治会等への加入及び参加と表現されており、地域住民の自発的意思を前提とするものであることは明確です。

 最後になりますが、我々はみな、特定の社会的アイデンティティの担い手として自分の置かれた状況に対処しなければなりません。私達は皆、ある人の息子や娘であり、この国土と自然の中で培われてきた言葉や文化の上に立ち、このまちで知り合った友人や出来事に影響を受けて育ち、そして命を未来につないでいくという大きな物語の中で暮らしています。
民主主義の熟度を上げるには、自分本位の発想から共通の善に向かってみんなで目を向けることで達成されるものと信じています。どうか伝統的で地域の中心的な役割を担ってきた自治会・町内会を守り、地域の縁を守ろうとする活動を推進するこの条例に賛同して頂きたく願いを込めまして、賛成討論とさせて頂きます。



内容5.国保の資産割

2014年06月18日 | 政治
 先ず一つ抑えておきたい点は、国民健康保険制度を保つために国保の特別会計に繰り入れる金額があります。一定の基準のもとで国などから定められた額を繰り入れる法定繰入金と、特別会計の赤字分を補てんするための法定外繰入金が大きく捉えて二つに分けられます。

 特にこの法定外の財源は、国民健康保険以外の保険に加入の方を含めた市民全体の負担となり、国民健康保険以外の保険に加入の方については自分の健康保険の保険料の他に法定外繰入金相当分を負担することになるので2重の負担だと指摘されています。国民皆保険最後の砦である国民健康保険制度は、財源の一部を一般会計から繰入れるべきではないといった意見もありますが、構造的に2重になっていることからも、この金額にも限度があると言え、所沢では最近は約7億円が補てんされていますが、国民健康保険制度にはこれをどう捉えるかといった課題があることを先ず確認しておいた上で質問に入ります。

 さて、国保の税率の決め方ですが、国民健康保険の市民への負担を計算するのには四つの指標を使っており、これを4方式といいます。一つは、加入者1人1人に均等に負担してもらう均等割り、次は1世帯ごとに負担してもらう平等割り、この二つを加入者またはその世帯という受益者が均等及び世帯別に平等に同じ額を負担することになるため応益負担と分類されています。
 三つめの算定基準は、世帯の所得額に応じて負担割合を決める所得割、そして最後に本日テーマとする資産の中でも固定資産をどれだけ持っているかで決める資産割りで、これら算定基礎に経済的負担能力に応じて賦課されるので、応能割りと分類されています。

 ただでさえ、国保に加入していない方々から国保の自己負担率をあげろという意見がある中で、国保加入者の土地・家屋などの固定資産税を持つ人は、固定資産税を支払った上で、さらにもう一度その固定資産が国保税の算定基準に使われることの負担感は大きくなってきており、二重課税であると感じる加入者も多いのではないかと思う、というのが一つ目の質問。

 次の質問は資産割については、市内に所在する固定資産のみに課税しているという現実への不満です。資産をたくさん持っている人は隣町に住めばその課税を免れている事実。次に、市内であっても固定資産以外の財産を持っている人には課税されないという事実です。経済的負担能力に応じて賦課されるはずの応能割りですが、資産割りに関してはその算定根拠に不公平感を覚える意見があります。この点についても平等性が問われる点であることを指摘しておきます。
 そこで質問ですが、市外に所有の固定資産や固定資産以外の資産に課税されない理由を二つ目の質問として確認しておきます。

 次に、国保世帯の中で資産割を課税されている世帯の割合と資産割額の平均はどのくらいなのかを確認しておきます。つまり単純に言えばマイホームで暮らす人と賃貸で暮らす人で資産割り課税について賛否が分かれるからです。賃貸の人は資産割りを減らせばその分が他の算定基準でカバーさせられるので反対にまわるというのが単純な解釈です。従って、国保加入者のうちどれくらいが資産を持っている人なのかを質問します。
 また、資産を持っている人が金持ちだからいいんだという意見もお聞きしますが、それではそのうち世帯所得200万円以下の世帯で資産割額を課税されている世帯の割合と資産割額の平均はどのくらいなのか、も併せて質問します。

 次に固定資産を持っている方々の実態を調べます。一つは所沢市の資産割を課税されている世帯の中で65歳以上の高齢者世帯の割合と資産割額の平均はいくらか。そのうち所得200万円以下の世帯はどのくらいで、その資産割額の平均はいくらかについて質問します。

 そして最後に、所沢市国保の資産割の課税状況から、今後の所沢市の資産割課税についてどう考えるかを質問します。



内容4.ゴミ処理費用の再検討

2014年06月17日 | 政治
 平成25年7月実施 職員による燃やせるごみ組成分析が行われました。11行政区で2ヶ所ずつ、各集積所から3袋で66袋の重量と組成の分析をした結果は、生ごみが43%、雑誌・雑紙が13%、古着・古布9%、その他の燃やせるゴミ27%、そしてさらにその他が8%というものでした。平成24年度の所沢市のごみ処理費用は、収集・焼却・選別・埋め立て・その他管理費用等で約53億9千万円です。これを組成分析の結果割合で按分しますと、生ごみが43.4%で約8億2400万円、雑誌・雑紙が13%で約2億4600万円、古着・古布が9.1%で1億7400万円です。

 ごみの重さをベースにした計算なので、バイアスによる信頼性・妥当性には限界はありますが、ざっくり生ごみで8億円、雑誌で2億、古着で1億という情報は参考になります。簡単に言えば、1割削減で1億円、2割削減で2億円というスローガンは、マチごとエコタウンとして、正面から取り組むべき具体的なテーマになり得ると思います。

 私は有料ゴミ袋制度で、売上は緑地購入費とするべきだと思っています。その制度があれば生ごみを出さない、資源ごみを出さない取組をした集積所についてはゴミ袋を配布するなどの措置でインセンティブを保証できますから、それを望んでいますが、本日の質問ではありません。質問は、ごみ減量の取り組みに手詰まり感がある中で、生ゴミを出さないインセンティブと,資源ゴミを出すペナルティなどのもう一歩進んだ手段の提案が必要だと思います、というものです。



内容3.市民オリンピック・パラリンピック(地区対抗総合市民体育祭)

2014年06月16日 | 政治
 前述(「障害者の方々に指をささずに心で拍手を。」参照)のように、障害のある子供たちや人々に対して、可哀想だという上から目線の思い違いのない、過度に特別扱いする偽善でもない当たり前の社会をつくるという私の夢は実現できていません。何の理解も経験もない人が、大きな声をいきなり出して近づいてくる障害のある方々をいきなり抱きしめることは実際には頭で分かっていても難しいかもしれない。出来れば小さい頃から地域の方々とコミュニケーションをとり、出来る限り自力で地域生活をしていくためのバリアを少なくできるような環境を整えるのが私の使命。私は特定の障害者団体の要望を手助けするようなことはしませんが、社会がどう障害者の方々を受け止めるかを変えることで障害者の方々を支援していくことが私自身への20歳の約束です。どうすれば障害者の方々と地域の日常生活の中で挨拶や気持ちの通う当たり前の光景が少しでも多くみられるようになるかの一つの方法として地域対抗パラリンピックに期待を寄せています。障害を持つ方々の関係者が集まるか集まらないかで開催が決まってしまう大会の構造的な課題から抜け出し、地域に住む障害のある方に対し地域の方が声援と拍手を送るシーンを作り出すことから、当たり前の光景が地域に溢れ出すのでは!という期待です。

 所沢市の市民体育祭は、体育協会設立の昭和28年に第1回市民体育大会を実施以来、平成6年までの間に計39回の地区対抗形式で開催されていました。しかし、各地区において選手が集まらない、地区対抗であることから各地区体育祭の競技性が強まり住民が出場したがらない、役員の負担が大きいなどの声が多く上がるようになったため、現在のように富岡や三ケ島のような数地区のみ行政区内の大会が行われ、それ以外はレクリエーション的な健康事業が行われています。選手が集まらないという理由は、各地区のスポーツ推進委員が独自に声掛けをしているから人数を集めるのは難しいだろうとも感じます。地域の自治会などが協力的に推進委員と連携が取れていなければ地区内の大会でさえ開催できないでしょう。ですからまちづくり協議会などの対抗戦をスポーツ推進委員が基幹運営する形式の大会にするべきだと思います。

 大会運営は、総合体育館での開会式とバレー、卓球などを行い、期間中にグランドゴルフの予選や各種競技を行うのが良いと思います。中学生の春の市内大会も大会運営の加点に加え、大会最終日は西武ドームで地域対抗年代別種目別リレーやグランドゴルフや綱引きなどを行い、地域ごとの応援合戦も併せて行えるとても面白いと思います。決勝を西武ドームでやる市民体育祭は、ディズニーランドで成人式をやるのとそれ以上に所沢市で暮らす魅力の一つになる気がします。マイケル・サンデル教授の公共哲学という本には、スポーツはコミュニティのものだ!と書かれています。商業的なスポーツに押されがちではありますが、ローマ時代よりスポーツは市民のものです。所沢市の大きな行事は新年祝賀会から始まり、文化フェア、所沢まつり、市民フェスティバル、シティマラソンなどがありますが、カレンダーを見ると6月、7月ごろに大きなイベントがありませんから中学生の大会と合わせてこの時期に行うのが良いと思います。

 また、まだまだ続く少子高齢化社会では、地域で育った若者が大学や就職した後も所沢に愛着を持って住み続けてくれるかというのは大きな課題です。中学生の頃に地域の方々から応援された経験は、障害者だけでなく子供たちでさえ地域への愛着を醸成させることでしょう。私も子供の頃、地域の体育祭で揃いの色の鉢巻をして兄弟や幼馴染と応援をした写真を見て懐かしめばいつも、郷土愛が胸に込み上げてきます。平日の昼間に大災害が起きれば頼りになるのは中学生かもしれません。

 以上の理由で私の質問は、一日で終わる大会でなく一定期間の中で障害者・高齢者・中学生も参加する多種目の地区対抗戦開催の検討をすべきではないか、という質問になります。

 このようにスポーツは、余暇を楽しんだりコミュニティを形成するという一義的な理由から、医療費の増大を抑制したり、福祉的なコミュニティ形成に役立ったりとその意味は深く広くなっています。運動が三日坊主にならないようにするためにはチラシで啓蒙するよりも仲間をつくることが良いし、一人暮らしになってから友人をつくるよりも昔の思い出が情となり近所に心配してくれる人を増やすでしょう。本当に医療費の削減や地域福祉を考えれば、スポーツが教育の所管で良いのかが問われなければなりません。そこで市には、スポーツ部門を市長部局に編入させる取組も含める必要性についてはどう考えるかも併せて質問することにします。



障害者の方々に 指をささず 心で拍手を!

2014年06月15日 | 政治
 二十歳の時、私は右足腓骨の骨腫瘍ができ防衛医大に一か月半の手術入院をしました。小さい頃から運動が得意だった私は、右足の切断や人工骨を入れるかもしれないという事実を受け入れることができませんでした。手術前は先生に「これが安田君の新しい骨だよ」と薄緑色の骨を見せてもらい、障害者となる書類に親が泣きながらサインをしていたのをよく覚えています。全身麻酔のマスクから3回麻酔を吸い込み、部屋で目を覚ましたのは9時間の手術と3時間の睡眠で12時間後。結局、腫瘍は良性で切断はなく、人口骨を入れる手術も先生のその場の判断で外側の骨をうすく残して再生するか様子を見るということになりました。それが上手くいき、現在は人口骨も入っていない状態で、右足に30センチ30針の傷跡だけが残っています。

 私だけが運が良かった。私の部屋は整形外科の若い患者だけの6人部屋でした。手術が出来ない子供は抗癌剤を投与し、あんなに元気だった子が髪の毛が全く無くなりぐったりとして、2週間は口も聞けないほど寝込んでひたすら吐き続けていました。この後ご紹介する入院生活で経験した物語は、その後の私の人生を大きく変えるものとなるのでした。

 また、そこには足の付け根から切断した小学生の男の子と、人口の膝関節をつけてもなかなか定着しない中学生の男の子が入院していました。ある日二人が喧嘩をしていました。人工関節で膝下がブラブラしていた中学生が片足のない小学生にこう言いました。「お前は足がないからこのブラブラは出来ないだろう!」周りの大人はヒヤッとしました。言われた小学生は「僕には足がないからそんなことできないよ」とケロッとした明るい表情で言い返すのでした。ハッと気づいたことは、その人が可哀想かどうかということを社会が勝手に決めているのかもしれないということでした。この子は小さい頃から入院をしていて、周りから可哀想だとかそういうふうに言われたことがなかったのでしょうか。誤解を恐れずに申し上げますが、この子はただ足が無いだけ。その日常生活でのバリアさえ取り除けば私たちと同じ。慈悲なのか偽善になるのかは分かりませんが、少なくとも周りが可哀想などとレッテルを貼る必要は全くないということです。

 ある日、その小学生と中学生を誘って看護婦さんに内緒で病院から脱走しました。病院生活は退屈で、私が悪い兄貴となってワクワク冒険を子供たちに提案するとみんな目を輝かせてついて来ました。松葉杖の小中学生達に、リーダーの私は車椅子。外来の出口から抜け出し、航空公園の駅の方に向かっていた私たちは被害妄想かもしれませんがジロジロ見られていた気がしました。可哀想だと観られる感覚を味わいました。「そんな目でみるんじゃねぇ!」と言い返せない辛さというか、私の軽率な思い付きで子供たちにもひょっとしたら嫌な思いをさせてしまったのではないかという反省の気持ちや、「社会ってそんなのかよ!」という切ない気持ちやら妙に気持ちの悪い感覚になったのを覚えています。振り返って客観的に考えればパジャマ姿で子供たちが外で歩いていたら誰でもそう見るのは当然かもしれませんが、その日の夜は悔しくて眠れませんでした。病室のブラインドの隙間が明るくなってくるまでずっと見つめていた思い出があります。

 またある日のこと、私たちの病室に男子高校生が入院して来ました。すぐに足の切断の手術がなされ部屋に戻って来ました。麻酔から覚め始めると高校生は切断してもうない方の足の親指がかゆいと泣き始めました。手術した日のその夜は親が付き添いで寝てよかったのでしょうか、母親が一晩中「ごめんね、ごめんね」と泣きながら体をさすっていました。あのすすり泣きの声も一生耳から離れないでしょう。

 私はその頃盛んだった超電導の研究者になりたくて理系の大学に在籍していましたが、仮面浪人をして翌年に学芸大学に入学しました。もちろん人間科学を専攻しようと思いましたし、生涯スポーツ(Sports for All)、全ての人がスポーツを楽しめるようにすることが運の良かった私が出来る恩返しだと思ったからです。本当にあの入院から私の人生が大きく変わっていきました。

 毎年、10月に国リハで行われていました所沢市障害者スポーツフェスティバルですが、今年は開催しないことになりました。15年間、ほぼ同じメンバーが手弁当で続けてきたのですが後継のスタッフが集めることが出来なかったのがその理由の一つかもしれません。ただ、スタッフとして15年間携わらせて頂いた私にとってはとても大きな経験でした。厚労省の青木さん、養護学校教諭の佐藤さんや清水さん、秩父学園の杉永さん、元社協の山さん、他にもたくさんの方々にお世話になりましたが、心から尊敬できる仲間に出会うことが出来ました。障害のある子供を残して亡くなられていった方々にもお会いしました。最後まではお役に立てずに申し訳ございませんでした。障害のある子供たちや人々が、純粋にまっすぐグランドを走り抜ける姿からはいつも勇気を頂きました。応援に来る家族の方々も年々明るくなって、障害のある子供がいるから地味に暮らすといった昔のイメージを払拭してくれるようなシーンをたくさん見ることができたのも本当に嬉しいことでした。本当にありがとうございました。
<続きは後ほど>




平成26年度 6月定例会 一般質問2 少年野球場等の整備

2014年06月14日 | 政治
 所沢の硬式少年野球は所沢リトル、所沢中央シニア、所沢南シニア、所沢ボーイズの4チーム。それぞれ練習場がなくて困っていると聞きます。中には月20万円近く支払って近隣市にあるグランドまで通っています。それだけでなく、野球少年少女は近隣市の硬式野球チームに入って健気に野球に向き合っています。

 近隣には入間川や荒川の土手を活用できたりするのですが所沢には大きな河川敷がない。政令市以上の市以外でプロ野球チームがあるのは所沢だけ。石毛宏典さんが校長のヒーローズ野球アカデミー(野球教室・バッティングセンター)が所沢がありますがグランドがないのは残念。そこで、耕作をしていない農地をグランドに出来ないか考え、このような案を思いつきました。所沢市の6月定例会ではその案について質問をすることにしました。

 ここからは少し詳しい話になります。市でグランドをつくれない理由は、場所、資金、維持管理の三つだと思います。市が1ヘクタール以上の第二種工作物(フェンスやグランド)を建設する場合には一般の場合とは異なり、都市計画法第29条第1項第3号に該当し、開発許可は不要となり、市の事業として行う場合は農振農用地からの除外や農地転用は可能なはずです。市のまちづくり条例では、開発区域の雨水対策やバリアフリー対策が求められますが、北野の総合運動場のテニスコートにようにグランドから水が排出されないように低いブロックで周りを囲むようにするなどの工夫で雨水貯留施設も大幅に軽減できるはずです。

 まず、土地の購入は費用がかかりすぎるので、長期の定期借地権で考えます。定期借地権には3種類ありますが、そのなかの一つが事業用定期借地権です。平成20年1月1日の借地借家法の改正で、事業用定期借地権は従前の「10年以上20年以下」から「10年以上50年未満」に延長されたところです。硬式野球場の建設費用はフェンスで約1800万円、その他、更衣室・トイレ、駐車場などを考えておおざっぱ(私の感)に約2200万円かかるとしましょう。20年で原価償却するとして利子・手続き料など(200万円)を含めても年間約100万円の返済となります。農地の借地料は調整区域の固定資産税の安さから考えれば年間数万円から謝礼を含めて十数万円で済ませられたらいいなと目論んでいます。1チームで月に20万円の場所代を支払っている現状を考えればメリットは大きいと思います。

 さて、資金の調達ですが、平成23年6月1日に、PFI法改正法が公布されました。本改正法により、民間事業者による実施方針策定の提案制度、公共施設等運営権に係る制度が創設されるなど、PFI制度が大きく改正されました。PFI(プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ)とは、公共施工等の設計、建設、維持管理及び運営に、民間の資金とノウハウを活用し、公共サービスの提供を民間主導で行うことで、効率的かつ効果的な公共サービスの提供を図るという考え方です。例えば空港の整備など、航空会社が民間から資金調達をして空港を建設する代わりに、その営業権などを獲得するやり方です。行政に資金がない場合に公共的な施設を運営するには良い方法です。

 資金調達は市が実施主体者と地元の銀行との間に入り交渉を進める。また、例えば所沢ライオンズ硬式野球場などのネーミングライツで資金を調達したり、平日の昼間は高齢者のグランドゴルフ場に貸し出すことを条件に市からの補助金をもらうなどの資金計画の相談もする必要があります。

 また、管理方法に関しては指定管理者制度というものがあります。この制度は住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設である公の施設について、民間事業者等が有するノウハウを活用することにより、住民サービスの質の向上を図っていくことで、施設の設置の目的を効果的に達成するために平成15年ごろから活用されたものです。 具体的には、体育施設、文化施設、駐車場、自転車駐車場などで実際に行われており、その指定された管理者がいくらまで利益をあげて良いだとか、儲からない施設には市からいくら資金を出すかなどを条例で定めて行うもので、少年野球のようなボランティア的な要素の強い事業には適用できるものと考えています。

 いずれにしてもその管理に関しては、指定管理者にしてもPFIにしてもNPOがその届出者になれるわけですし、所沢の市民活動センターでは全面的にNPOの発足から相談まで支援をしてくれるようになっていますから、現在の野球チームの数チームが長期的なグランド運営の話し合いさえつけば始めることができそうだということです。以上の手法が可能ならば市がグランドをつくれない三つの理由をクリアできるのはないかという根拠です。

 つまり私の質問は、定期借地権、PFI、指定管理者制度を活用すれば、調整区域に野球場が整備できるのではないかという質問になります。もちろん、市がこの一連の案を受け入れてもらえるためのプロポーザル方式を確立してもらわなければなりません。この質問は当日の最初に質問します。

 この手法が不可能ではないという答弁ならば、私と一緒に農地提供可能な地権者探しに行ってくれるチームやリーダーが現れるのを待つだけです。市の宝である子供たちの夢を叶えるために今の大人がしてあげられることは全てやりましょう。義を見てせざるは勇無きなり。何かを感じたり、アドバイス頂ける方はご連絡を!



平成26年度 6月定例会 一般質問1 土地の有効活用方法

2014年06月12日 | 政治
 
 所沢市は平成24年に廃止した旧所沢浄化センター跡地(下水道処理跡地/37,382.24平方メートル)の利用方法を、プロポーザル事業として募集することにした旧所沢浄化センター跡地利用プロポーザル事業が平成25年6月定例会で提案されました。市有地の売却費で解体費用まで捻出しようとする画期的なアイデアでした。
 
 旧所沢浄化センター跡地は、跡地を利用するための残存施設の除却費用を捻出することが難しいこと、また、このままでは維持管理費用を支出し続けねばならないといった状況を踏まえ、地域経済の活性化、固定資産税等の税収増及び雇用の創出を図るとともに、市内に約1.3%しかない準工業地域という用途地域の特徴を活かした土地利用を図るため、産業系を中心とする土地利用計画を公募し、売却することといたしました、という説明でした。

 この事業には不動産鑑定料350万円及び事務局支援に係る支援業務委託料2,100万円の合計2,450万円が上程され、平成25年12月定例会では、周辺道路の拡幅整備と隣接する建築物の改修等に係る補償料を算定するための調査費用を行うための932万4,000円などが上程されていました。

 そしてこの度、旧所沢浄化センター跡地の売却に関し、出版大手のKADOKAWA(旧・角川ホールディングス)が優先交渉権者として決定したとのことでした。今後、優先交渉権者との協議を経て仮契約を締結し、平成26年9月定例会に議案を提出する予定とのことです。企画は以下リンクの通り。
<提案趣意書> http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/enjoy/sangyo/kogyo/kyuujoukacenter/files/0101shuisho.pdf
<街区のイメージパース> http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/enjoy/sangyo/kogyo/kyuujoukacenter/files/0102imege.pdf
 
 所沢市には、文化会館や第二学校給食センターなど、使われていない公共施設がそのままになっています。また、所沢インター周辺は長期的に開発すべき地域として指定はされていますが、具体的な計画は未定となっています。現在行われている北秋津の区画整理事業などの民間施行方式や、市が誘導するのではなく、先に地権者や住民が計画に合意をする地区計画方式の活用が、今後のまちづくりの手法としては現実的だと私は考えています。

 浄化センター跡地利用の募集は、市が場所、期限、内容などを予め規定した形でのプロポーザル形式でしたが、それよりも少し緩やかな手法にするために、未利用の市有地や低活性な地域の活用提案にプロポーザルの常時受付制度が有効ではと質問を致します。