我々人間は,現代社会で経験するおびただしい変化に対応できるようには,もともとつくられていない。人間はここ2万年ほどのあいだ生物学的にはほとんど変わっていないが,生活環境は急変しており,その変化に適応することができないために脳神経系や健康などの社会問題が顕在化してきているのだとも推測できる。つまり現代社会は多くの人にとってその生物学的限界を超えているとも考えることができるのであり、そこで生物的限界とそれを告知する動物的感性との関係は一体どういうものなのかを注目すべきと訴える。もう少し詳しく説明しよう。
先ずは、私たちが近代生活の中で手放したもともと備わっていた感性は、実はその限界を察知するための重要な機能だったと考える。そのような動物的な生き方を理解するには動物行動学者のローレンツの著書を参考にすることをお勧めする。彼は以下のように進化の過程において感性がいかに重要かを説いている。動物の進化の過程は機能的な淘汰によって獲得してきた。交尾や採餌を開発するといった刺激状況のように,極めて特殊な刺激状況を求めるように動物を強化することが重要である場合には,進化は常に下記のような問題解決の道を歩んできた。極めて特殊な行動様式が強化されることが動物にとって重要であって,そしてそれがあるまったく特定の,ごく限定された場所を求めることであるのならば,負の反応をおこす刺激のみによって動物をそこへ追い込むことは困難だと思われる。報酬を与える刺激の作用によって動物を望ましい場所に引き寄せる方がずっと容易であろう。快によって導くか、不快によって追い込むか、報酬と罰は自然界に君臨する基本原理なのである。その原理を自らに変換する機能が感性なのである、と言う。
効率を追求するために、本能的な感性を理性で潰していく社会には、いつしか限界がやって来るに決まっている。もう既に来ていると判断しなければならないと思う。果たして我々の社会は、いつその限界に気付くのであろうか。
先ずは、私たちが近代生活の中で手放したもともと備わっていた感性は、実はその限界を察知するための重要な機能だったと考える。そのような動物的な生き方を理解するには動物行動学者のローレンツの著書を参考にすることをお勧めする。彼は以下のように進化の過程において感性がいかに重要かを説いている。動物の進化の過程は機能的な淘汰によって獲得してきた。交尾や採餌を開発するといった刺激状況のように,極めて特殊な刺激状況を求めるように動物を強化することが重要である場合には,進化は常に下記のような問題解決の道を歩んできた。極めて特殊な行動様式が強化されることが動物にとって重要であって,そしてそれがあるまったく特定の,ごく限定された場所を求めることであるのならば,負の反応をおこす刺激のみによって動物をそこへ追い込むことは困難だと思われる。報酬を与える刺激の作用によって動物を望ましい場所に引き寄せる方がずっと容易であろう。快によって導くか、不快によって追い込むか、報酬と罰は自然界に君臨する基本原理なのである。その原理を自らに変換する機能が感性なのである、と言う。
効率を追求するために、本能的な感性を理性で潰していく社会には、いつしか限界がやって来るに決まっている。もう既に来ていると判断しなければならないと思う。果たして我々の社会は、いつその限界に気付くのであろうか。