安田よしひろ 駅立ちブログ!

日本の安寧。未来への責任。次世代の幸せを憂い、創る。

3.生物的限界と動物的感性 ③

2010年05月25日 | 政治
  先のコメントなどで理論展開してきたように,社会的信念と動物的感性とには健康と深い関わりがあるように思われる。そのような関係を私の大学院時代の恩師、池田克紀教授より「快・不快」,「報酬・罰」の2次元の図でわかりやすくご指導頂いた。以下、説明をさせて頂く。
  人間は動物であるから,生命の維持や健康に関して基本的には,生得的な「快-不快」信号に依存しているはずであり,依存しなければうまく生きていけないはずである。このことから,「快・不快」は動物軸と定義できる。また,人間はその他に,他の動物にはない心理的・社会的な行動の側面を持っている。社会生活を営むためには,地位,名誉,お金,物質などの「報酬」といわれる人間が自ら作り出したものや,安全や平和のための法律,規則,道徳,宗教など違反すると「罰」を与えられるものにも従わなければならない。そのような「報酬・罰」の軸は人間特有のものであるから人間軸と定義できる。そしてこの社会的信念と動物的感性は,個人と社会の関係であるから,生物でありながら社会の中で同時に生きていかなければならないというジレンマが生じている関係でもある。
  図でいうところの理想社会へ多くの人々を導くことが文明社会共通の命題であるにもかかわらず、政治や経済は必ずしもその命題に立ち向かおうとはしていない。どうしてだろう…
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3.生物的限界と動物的感性 ②

2010年05月14日 | 政治
  先に述べたように、快と不快の二重構造原理は,有機体の種や個を長く存続させ得る可能性を高めるために機能する。さらに健康が種や個の生死に直接かかわる指標であるとすれば,進化を通じて,健康を促進する行為は生物学的に確かな快感覚と結びつけられたに違いない。このような進化を通じて培われた人間の感覚には生物学的な観点からみて,動物的な感性とでも呼び得る普遍的な快‐不快回路が遺伝的に受け継がれていると考えられ、以下これを動物的感性と称する。この感受性に基づいた判断能力は現代社会の中で失われつつある。以前に述べた「刷り込まれた社会的信念」によってである。
  健康と快感覚についてもう少し触れてみる。快を欲するということで人間は自らの存続をより強固なものにするように進化してきたのである。健康的に生命を救うような習慣を確実に行わせるようにするには,それらを心地よいことにしてしまう以上に良い方法があるであろうか?食事から子孫繁栄まで,環境に注目することから他人の世話をすることまで,快は我々をより健康に導くのである。 正しいと感じることを行なったり,心地良いと感じることをすることは健康や種の保存に有益である。近代社会には例外はあるが,快(食事を楽しむこと,セックス,友人,仕事,家族など)は普遍的に生得している健康への案内であるに違いない。これらの感覚は我々が正しい路線にいて,そしてそれを続けるべきであると我々の脳に合図しているのである。我々はいつから、この合図を無視し始めたのであろうか。