《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てください)
さて、東の端から西に移動する。
腰越から津村を流れる神戸川に沿って北に進路をとり、山を越えると手広村。
谷戸坂の切り通しを経るか、尾根を経て女坂の切通を下り手広に出る。
その途中に水田が広がっていた。今は宅地。
高台の端に、小さな公園とされている御所五郎丸の邸跡がある。
御所五郎丸は源頼朝の時代の武士。
富士の巻狩りの際に起きた曽我兄弟の仇討ちで活躍している。
平坦な土地は、古くは水田であったろう。
水田は東の谷戸へと広がっていた。現在の広町緑地の一部である。
山襞に抱かれたような広町緑地は、御所谷、竹ヶ谷、小竹ヶ谷などの大きな谷戸からなる。
里山といった風情で昔の環境が遺されている。
コナラであろうか、古樹が涼し気な陰りをつくっている。
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