鑪(たたら)ヶ谷
竹の繁茂した鑪ヶ谷を奥へ進むと木々に囲まれて山際が切岸のように切り開かれた空域がある
生い茂った木々が邪魔で良く見えないのが残念
武家政権の台頭により、鎌倉には太刀や薙刀などの武器製造に関わる職人が集められた。「相州正宗」は誰でも知っている著名な刀工である。その他にも國光、行光、廣光、國重、國信など名だたる刀工が知られている。その居住地は、正宗の子孫にあたる山村綱廣一門が居住し多と伝えられる地域が記録されている程度で、明確な資料はない。長谷部國重については、長谷観音のある長谷の谷戸がそれに当たるのであろうか、これも未詳。
但し、十二所には鑪ヶ谷と呼ばれる谷戸があり、鋳物師が活躍したところと伝えている。職人伝承であったとしてもその痕跡があることは重要である。
鑪ヶ谷は水掃けが悪く、湿地と化し、しかも藪化も進んで人の侵入を拒んでいるようだ。10年ほど前になるだろうか、撮影に出かけた際、土地の所有者と出会い、立ち入りの許可をいただいた。谷戸は奥が深く、山間を曲がりくねった沢に沿って進むと奥にも山際を切り開いた平地がある。さらにその奥への道は、十二所果樹園の南を巡る山道まで続いていたのではないかと思われる。
国重が相州伝の鍛冶であることは沸出来皆焼の刀を作っていることから理解できますよね。正宗十哲の一人に数えられてはいますが伝承であり、本当のところは分っていません。
出は大和国で、相州で鍛冶業を学んだのでしょうね、後に山城で活躍しています。相州伝は備前にも、九州にも影響が及んでいます。五か伝の中では最も分かりにくいのが相州伝でしょうね。在銘作も少ないですし。
無銘が多いゆえ正宗についてでさえ不明なことが多いと聞きます。刀剣人気が高まっている昨今、研究が進んで新たな発見があることを期待したいです。