意外なところに畑がある
街道沿いの山裾が開削されて切り立ち
谷戸を成している山襞の上の尾根部分が平らに整地されているのである
即ちすぐ下に街道がある
この台地上の平地は元来が畑というわけではないだろう
朝比奈の切り通しにもあったような街道を見下ろす台地状の構造と同じではないか
このような畑がいたるところにある このすぐ下が道路
山襞に設けられている細い道
人ひとりが通るのがやっと
中央に見えるのが西念寺
今泉の大船寄りが岩瀬
谷戸を構成している幾つかある山襞の一つ
山襞のすそ野から山上に向かって細い道が切り通されている
階段状に道が設けられているのである
ちょっと判り難い入り口辺り
切り通されている上り道
辿ってゆくと尾根が平らに整地されていて梅林になっている
さらに進むと谷戸の最奥に設けられた人家の横に出たが
踏み分け道はさらに山手の方へ進んでいるようで石段が続いている
さらに辿ると道らしき道はなくなるが
藪こぎして進んでみるとぽっかりとした小高い小山の頂に出てしまった
見晴らし台のような・・・
小山は何だろう
少し説明的な写真ですが
谷戸の入口辺りはずいぶんと家が建っている
街道から谷戸奥への道を辿ると左右の山が迫っているように感じられる
山際を切り込むように掘削しているためで
所々に切り立つような崖があるのも切り通しと同じ意味合いがあるのだろうか
武家屋敷跡であれば・・・
現実の畑は公園化した里山としての谷戸とは異なる
カラス除けのためであろうカラスの死骸が吊り下げられていたりする
この谷戸では写真の左手側にヤグラが点在している
寺院跡か武家屋敷跡か
畑の奥が藪化しているが
そのさらに奥に畑がある
ヤグラの多くは中世(鎌倉時代から室町時代にかけて)のもの
南北朝時代を下ると武家は鎌倉を捨てて京に移ってしまう
それ以降は廃された寺院跡や武家の土地などは畑とされたようだ
今の土地の多くは近世に造られたと考えてよいだろう
鎌倉時代の余香が感じられるところは極めて少ない