鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

台地上を歩いている

2020-09-21 09:51:56 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

台、あるいは台峰の地名がある。その台地の上を歩いている。鎌倉を取り巻く山並みの尾根は、ほとんどが通行可能な小道とされていた。所々に台状の平場も設けられていた。この辺り、鎌倉北西端の尾根は、多くが平地化されている。

わずかに遺されている畑は、ひな壇状に構成されている。夏場の撮影のため草木が繁茂して地形が判り難い。

《鎌倉八百ヶ谷戸》Webサイト

 


2020-09-19 22:58:11 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

鎌倉の北西端辺り

鎌倉を取り囲む山襞の西北端、柏尾川を臨む辺りにおいて山襞は切り落としたかのように消える。その先端部は切り立つ崖面とされていることが多い。

今泉の街道沿いの山の上に畑があり、本来の目的は防御施設ではなかったかと説明したことがあるも、鎌倉北西端の山襞もまた、同じ防御の施設として機能していたのであろう。

藤沢方面から鎌倉に入る街道は、柏尾川沿いにいくつかの山襞を縫うように東へと進む。一つは大仏坂切通し。また一つは現在の鎌倉山を回避して海辺に出たところの極楽寺坂。北路をとれば台の山襞に沿って北鎌倉方面へと向かうことになる。そして梶原の山の尾根を伝って化粧坂に至るルートがある。逆にたどれば、柏尾川を渡って町田方面へと進み、武蔵野西部を経て上州高崎方面へと続いている。この道が鎌倉街道の一つ上道である。

上道に限らず、鎌倉の北西部を防御するための重要な施設を山襞上に点在させていたのであろう。敵を迎え撃つに適した高所であり、これらのさらに最先端部に位置するのが、北野神社のある天神山に他ならない。頗る見晴らしがよい。戦国時代には玉縄城の砦として機能していたものだが、当然のこと、遠く鎌倉時代にすでに防御施設としての意味を持たされていたであろう。

写真は、それら山襞の一つ、山の上を平坦に仕立てた台地の端部で、現在はかなりの急斜面に平場を設けて家屋が建ち並んでいる辺り。もちろん台地の上にも家々が建ち並んでいる。その西端に畑が遺されている。木々を取り除けば見晴らしがよいことだろう。急な階段が設けられているのだが、その上部に立つと真正面に大船観音が見える。また、台地上の家屋の隙間から眺めると、戸塚方面が手に取るようにわかる。六国見山も間近だ。

写真の中央が大船観音

右端が六国見山

左端の樹木に隠れている辺りが本郷台辺り

さらに左が戸塚方面

《鎌倉八百ヶ谷戸》Webサイト

 


化粧坂切り通し

2020-09-13 19:16:13 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

扇ヶ谷を歩いている。

化粧坂は鎌倉七口にも数えられている要所。他の切り通しとはちょっと雰囲気が異なる。

道が深く切り込まれているわけではない。

つづら折りに急坂が設けられているだけ。

ただ、坂を降っている辺りの右上は、今は藪で様子がよく判らないのだが、その上部は守りの要素が強いと感じられる。

化粧坂を越えて梶原に降りる道が要路であり、梶原側もかなり守りのために構造化されている。

脆弱な地盤のため、表面が崩れて固い部分が処々に露出している。

背後の源氏山は湧水が多いのであろうか、今の季節は特に歩き難い。

《鎌倉八百ヶ谷戸》Webサイト


新清涼寺ヶ谷

2020-09-09 22:35:03 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

扇ヶ谷を歩いている

宅地化されたことで平場に入りやすくなったのは幸運であった

今まで藪に手が付けられなかったため藪の奥に平場があることを知りながら遠くから眺めていただけであった

それほど広くはないが寺院の跡であろう

山際が切り立つように掘削されている

《鎌倉八百ヶ谷戸》Webサイト