先日、ウガンダ、ケニアというアフリカの国、インドネシアの留学生達の話を聞く機会がありました。彼らは、アジア学院という農業訓練指導者の専門学校の学生で、この度益子教会の礼拝に参加し、彼らの国のことを分かち合ってくれました。特に、ウガンダの学生の話が衝撃的でした。近年彼のフィアンセ(ウガンダ人)とアメリカ人の女性と3人で、”Girl’s Now”という、若い女性たちのためのNPOを立ち上げ、活動していることを話してくれました。新型コロナウイルスのパンデミックで、政府の政策であるロックダウンにより、国の経済は大打撃を受け、人々は仕事を失い、大勢の人が貧困状態になると、多くの10代の女性たちが親に売られてしまうという恐ろしい現象が広がってしまったというのです。彼らはこのことに心を痛め、女の子たちを守るための活動や彼女たちへの教育を、行政機関とともに協力して行っているとのことです。またアメリカなど西欧諸国の同世代の女の子と彼女たちが文通をできるしくみも作り、支援金を募るということもしているそうです。
日本でもコロナで仕事を失い、多くの人が貧困状態になったとしても、親が子供を奴隷として売買することはできません。しかし日本では戦前はありました。現代でもなおそれが他の国々でまかり通っているということに怒りを覚えます。他国を責める資格はないのですが、資格がなくとも、人を売買し、所有物として何をしても良いという考え方を許してはならないと思います。残念ながら、まだ世界の国々で子供が教育も受けられず、働かされ、人身売買されることを取り締まる法律、制度が行き渡っていない地域があるという現実について深く考えさせられました。
神様ははじめに人を創られた時、その愛のご性質からすると人と人との関係において、一方が他方を支配し、奴隷とすることを望んでいません。人が奴隷制度を作ったのであって、神様が作られたのではありません。神様は人を「良いもの」として創られ、互いに愛し合う、つまりお互いをいたわり、尊重しあう、平和な関係を持ってほしいと願われているはずです。遠いアフリカの国の問題としてだけとらえず、日本でも辛い思いをしている子供たち、大人たちはたくさんいることを覚え、神様の助けが与えられるように祈っていきたいと思います。また、一日も早く、人身売買にかかわる人たちが悔い改め、人をだまして搾取するようなことをやめるように祈ろうと思います。「アメージング・グレース」を作詞した英国人は、かつては奴隷船の船長でしたが、自分のしたことを悔い改め、こんな自分をも救った神様の驚くばかりの恵みを表し、今やクリスチャンでない人も耳にする有名な曲となっています。神の招きと恵はすべての人に注がれています。
そして、この地域にて何かそのような方々と出会う機会が与えられた時、小さなことでも助けになることが出来たらと願っています。なによりも、日々与えられる聖書のみことばによって、他者に仕える心を持てるよう、神様に祈り求めていこうと思います。
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」エフェソ信徒への手紙1章17-18節
日本でもコロナで仕事を失い、多くの人が貧困状態になったとしても、親が子供を奴隷として売買することはできません。しかし日本では戦前はありました。現代でもなおそれが他の国々でまかり通っているということに怒りを覚えます。他国を責める資格はないのですが、資格がなくとも、人を売買し、所有物として何をしても良いという考え方を許してはならないと思います。残念ながら、まだ世界の国々で子供が教育も受けられず、働かされ、人身売買されることを取り締まる法律、制度が行き渡っていない地域があるという現実について深く考えさせられました。
神様ははじめに人を創られた時、その愛のご性質からすると人と人との関係において、一方が他方を支配し、奴隷とすることを望んでいません。人が奴隷制度を作ったのであって、神様が作られたのではありません。神様は人を「良いもの」として創られ、互いに愛し合う、つまりお互いをいたわり、尊重しあう、平和な関係を持ってほしいと願われているはずです。遠いアフリカの国の問題としてだけとらえず、日本でも辛い思いをしている子供たち、大人たちはたくさんいることを覚え、神様の助けが与えられるように祈っていきたいと思います。また、一日も早く、人身売買にかかわる人たちが悔い改め、人をだまして搾取するようなことをやめるように祈ろうと思います。「アメージング・グレース」を作詞した英国人は、かつては奴隷船の船長でしたが、自分のしたことを悔い改め、こんな自分をも救った神様の驚くばかりの恵みを表し、今やクリスチャンでない人も耳にする有名な曲となっています。神の招きと恵はすべての人に注がれています。
そして、この地域にて何かそのような方々と出会う機会が与えられた時、小さなことでも助けになることが出来たらと願っています。なによりも、日々与えられる聖書のみことばによって、他者に仕える心を持てるよう、神様に祈り求めていこうと思います。
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」エフェソ信徒への手紙1章17-18節