国境の壁の建設。米国とメキシコの国境に壁を造ることに関して、米国では大統領と議会、また人々の間で論争が起きています。私たち日本人は限られた情報・ニュース等でしかその状況を知ることができませんが、先日、米国在住のアメリカ人の方のこの件を尋ねてみました。すると、その方はクリスチャンですが壁建設が必要であるとして大統領を支持していると答えました。理由は国民をテロや麻薬密売人から守る為、壁を作らなければ国民が危険にさらされるからだとのこと。なぜ、アメリカで多くの人がこの大統領の政策を支持しているのかと不思議に思っていたのですが、一つは「恐れ」に対する防衛反応なのではないかと思わされました。
ある民族が、周辺諸国へ移動、移民すること(それが合法であれ、違法であれ)は歴史的にも起こってきた現象です。どの民族でも、元来自分の生まれた国の文化、食べ物、言語のもとで住み続けることを好むでしょう。しかしそれでも、古代から人々は様々な理由で他の場所へ移動してきています。ヨーロッパでの民族の大移動、アフリカから強制的に奴隷として移動させられた民族、また昨今では政治的不安定のため難民として他国へ逃げざるをえない人々もいます。メキシコからアメリカに人々が移動する根本的理由の一つは、メキシコの貧富の差です。貧しいメキシコの人々が、なんとか生きるために豊かなアメリカに移住したいと願うのです。テロや麻薬の密売を作りだす構造は、人々が通常の経済生活ができず、その不満因子が暴力や犯罪へと集約されてしまうこと、そして他者を犠牲にしてまで富を得たいという「欲」でしょう。私は壁を作るコストをかけるより、より効果的な政策は、メキシコ政府への貧困対策、雇用政策を経済的に支援することではないかと思います。しかしこれも、メキシコ政府自体がうまく機能していない為、簡単に事は進まない可能性が高く、非常に難しい問題です。
壁が造られるところには、争い、憎しみ、犯罪、偏見があります。なぜなら、これらの反応として恐れ、防衛本能が壁を造るからです。しかし、イエス・キリストは隔ての壁を壊し、一つにする方だと下記の聖書に書かれています。なぜなら、キリストの教えは壁とは逆の、和解、赦し、善行、一致があるからです。人はどうしても自分が一番大切ですし、自分中心であり、その結果、自分を脅かす他者に対しては、物理的壁だけでなく心の壁を造ってしまう臆病なところがあるのではないでしょうか。しかし、全き愛は恐れを締め出すとも聖書に架かれています。* キリストの愛のあるところには、恐れとそれに伴うマイナスの感情、行動が少なくなっていきます。
私も臆病者で、恐れや不安、心配事が出てきます。しかし、それらが出てきた時、自分で対処するか、神様に助けを求め委ねるかのどちらかを選択することが出来ます。私は後者を選び、神様を信じて委ね、必ず守られるという安心感が与えられてきていることに感謝しています。まず、神様との間の壁を取り除き和解する、それは神様を信じることです。すると、人同士との和解や赦しが壁を造ることより大切だということに気づかされます。そのために、キリストの十字架が必要だったのだと。人間同士の関係の修復は簡単に出来ることではないですし、時間がかかります。しかし壁を造ろうとせず、敵意を捨て、信仰を持って神様に和解を祈り、助けを求めるていきたいと思わされました。
「実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼました。 」 エペソ人への手紙2章14-16節
*「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」 第一ヨハネの手紙4章18節
ある民族が、周辺諸国へ移動、移民すること(それが合法であれ、違法であれ)は歴史的にも起こってきた現象です。どの民族でも、元来自分の生まれた国の文化、食べ物、言語のもとで住み続けることを好むでしょう。しかしそれでも、古代から人々は様々な理由で他の場所へ移動してきています。ヨーロッパでの民族の大移動、アフリカから強制的に奴隷として移動させられた民族、また昨今では政治的不安定のため難民として他国へ逃げざるをえない人々もいます。メキシコからアメリカに人々が移動する根本的理由の一つは、メキシコの貧富の差です。貧しいメキシコの人々が、なんとか生きるために豊かなアメリカに移住したいと願うのです。テロや麻薬の密売を作りだす構造は、人々が通常の経済生活ができず、その不満因子が暴力や犯罪へと集約されてしまうこと、そして他者を犠牲にしてまで富を得たいという「欲」でしょう。私は壁を作るコストをかけるより、より効果的な政策は、メキシコ政府への貧困対策、雇用政策を経済的に支援することではないかと思います。しかしこれも、メキシコ政府自体がうまく機能していない為、簡単に事は進まない可能性が高く、非常に難しい問題です。
壁が造られるところには、争い、憎しみ、犯罪、偏見があります。なぜなら、これらの反応として恐れ、防衛本能が壁を造るからです。しかし、イエス・キリストは隔ての壁を壊し、一つにする方だと下記の聖書に書かれています。なぜなら、キリストの教えは壁とは逆の、和解、赦し、善行、一致があるからです。人はどうしても自分が一番大切ですし、自分中心であり、その結果、自分を脅かす他者に対しては、物理的壁だけでなく心の壁を造ってしまう臆病なところがあるのではないでしょうか。しかし、全き愛は恐れを締め出すとも聖書に架かれています。* キリストの愛のあるところには、恐れとそれに伴うマイナスの感情、行動が少なくなっていきます。
私も臆病者で、恐れや不安、心配事が出てきます。しかし、それらが出てきた時、自分で対処するか、神様に助けを求め委ねるかのどちらかを選択することが出来ます。私は後者を選び、神様を信じて委ね、必ず守られるという安心感が与えられてきていることに感謝しています。まず、神様との間の壁を取り除き和解する、それは神様を信じることです。すると、人同士との和解や赦しが壁を造ることより大切だということに気づかされます。そのために、キリストの十字架が必要だったのだと。人間同士の関係の修復は簡単に出来ることではないですし、時間がかかります。しかし壁を造ろうとせず、敵意を捨て、信仰を持って神様に和解を祈り、助けを求めるていきたいと思わされました。
「実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼました。 」 エペソ人への手紙2章14-16節
*「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」 第一ヨハネの手紙4章18節