喜寿から始まる

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人生100年の時代とは、何をすべきか

2018年02月12日 | 日記

かなり前から人生100年の時代が声高く喧伝されるようになった。

政策として掲げることで、何か解決したような、あるいは少なくとも解決の光が見えてきたかのような錯覚に陥っている。

人生100年といっても対応の仕方はいろいろだ。
これからスタートする人。せいぜい20歳前後まで。
いわゆる働き盛りのひと。
まさしく100年を生きている人 70歳以上程度か。

第一のグループは人生100年設計の中で、それを前提に人生設計をする。しかし、前提事実がいつまで続くかわからないので、恐らく、働き盛りになったころには、全く違った人生設計に出会うことになる可能性がある。
今70歳の人は、人生のスタートでは70歳以上の人生など想像もしない生き方だった。

働き盛りの人はある意味一番影響を受けているかもしれない。スタート時点ではいいところ人生70歳だったのが途中で100年に軌道修正、しかし現実の生活の中で軌道修正せよといわれても、あまりにも大きすぎる。

第三のグループは、軌道修正もなにも有ったものじゃない、考えたこともないけれど、とにかく生きていくしかない、有無をいわせない、ということで、手探りで進むしかない。あれこれ文句を言っている場合じゃない、やるしかないというわけで、切羽詰まっているだけに余計なことを考えない、考える暇がないという意味で、気楽かもしれない。心配しても仕方がない。
ただ、人間というのは、置かれた場でやりくりする才能がある生き物だし、そしてまた人間というものは何とかできたことで自信をもつことができる生き物なので、ある意味、このグループは幸せかもしれない。

個人的にはこのグループに属しているわけだが、歳を重ねるにつけ、生きて毎日の生活から新しい発見をしていくことが見つけられるのではないかと実感するようになっている。今までは関係がないように思われていたことが、すべて関連しているように感じられる。そういう意味では、思考が自由自在に時を超え場所を超えて動きまわっていると感じる。赤は赤だけでできているのではなく、細かく見るといろいろな色の小さな粒からできているような・・・

ひとりひとりのそういう体験が、個人的にも、またそれを集積することで世の中にも役立つようになるのではと思う。

人生100年といっても、問題は一律ではない。

最近の政治をみると、新しい言葉が見つかると一仕事終わったと思っているようで、不満である。
言葉ではない、生身の人間をみて、役に立つことをすべきである。

どこに焦点をあてるか、一つとは限らない、バランスをとりながら・・・

人生100年時代、掛け声だけのように思う。

ひょっとして、一番重要なことは、人生100年であれ、50年であれ、あるいは150年!であれ、どれになっても何とか対応できるようにする、それが、結局人生100年の時代の政策・生き方でもあるのではと・・・