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オリンピックは政治は関係がないとは

2018年02月13日 | 日記

オリンピックは平和の祭典で政治問題は棚上げすることになっている。

しかし、今度の平昌オリンピックをみると、まさしく政治一色のように見える。

これはまさしく逆説的発想である。
政治と関係がないとの前提があるので、建前上政治に関して何をしても政治とは関係がないこととなり、自由自在に政治的なことができるというわけである。

人間の絶妙な知恵ではないかと思う。
北朝鮮の問題は、世界にとって重要な問題である。にもかかわらず、いやだからこそ政治の場では、慎重になって本音がいえない。だから解決すべきことだが解決できない。
ところが、政治とかかわりがないと世界の全員が公認するオリンピックでは、何をしても政治とかかわりがないので、本音がみえてくることになる。
ということで、解決の糸口となり得るわけである。

アメリカのテレビドラマをみていると、犯罪者と検察・警察との交渉の際に、事実を認めずに(認めるわけにはいかない)「仮定の話として」交渉する場面が出てくる。仮定の話なので、決裂しても、事実を認めたことにはならないので、仮に犯罪を犯したとして、処罰はどうなるのか等の細かな条件についての本音を聞き出せるというわけである。仮定とすることによって、はじめて、言いたいこと聞きたいこと知りたいこと知らせたいことを率直に話題にできることになる。
それに似ている。

偽善といえば偽善なのだが、ルールとして認知されることで、偽善と非難されないことが保証され、本音を晒すことが可能になる。

オリンピックはそういう意味でも素晴らしい。
とすれば、確かにこれぞ平和の祭典といえるのかもしれない。ふと思ったことである。