分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●レヴィ=ストロース死去

2009年11月04日 05時27分44秒 | 文学
100歳ですか……。

滅茶苦茶なよう(に思われそう)ですが、そうでもなく、レヴィ=ストロースもサルトルもわりと好きなのですが、うーん……。
(学部の頃に、なんかその辺は大量に読まされました)

アカデミー・フランセーズ座席番号29が空いたわけです。
アカデミー・フランセーズは定員制で終身制なので、誰かが逝かないと次の人は就任できないわけですが、……次(に座るの)は誰かな。


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タイムリーなことに(?)前にペンタゴンについて少し触れていましたが、レヴィ=ストロースは「いい線いっていた」らしいです。
来日したときのエピソードはテキストになっていないかもしれませんが、当時を知る人に聞けば面白いことがわかるかもしれません。(レヴィ=ストロースに対しては酷い仕打ちというか)

日本の学会も変なところですね……。


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手塚治虫は、その作品世界も含めて嫌いです。
あの傲慢な未成熟さ、未成熟ゆえの粗野、そして卑俗な世界観。
ああいう人物が身近にいたら、来たら、避けて通る方法を、ぼくは学ばなければならないです。
コンプレックスに支配された人間の強引な吸引力から遠ざかる方法を学ばなければならない、のですが、あの手のタイプの人間というのは……。(ため息)

石ノ森章太郎は、わりと好きなのですけれど、その作品世界も。
この辺りの違いがわからないような鈍感な人とは、話してもしかたないところがあります。
鈍感力とか言っちゃって開き直っちゃったりしててね……。(ため息)

アクが強そうに見えて意外にそうでもないというか無害なのは松本零士。


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どういうわけか、フランス滞在記のキーボードは進みません。
書こうかなと思うたび、なぜか邪魔ばかり入ります、なぜ?
 

●A型B型(インフルエンザ)

2009年08月16日 20時37分33秒 | 文学
インフルエンザにA型B型の呼び名(分類)を与えたのは、ご家族の方です。
(分離されたのは、もちろんもっと以前ですが)
「その名称だけひとり歩きしちゃって」る状態のようですが(とくにマスコミで)、研究の世界もアレですからね……。

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ぼくはといえば、お盆なので怒濤の書見もひとやすみ。
ほんとうはお盆うんぬんは関係ないですが、いい加減「浮き世離れが過ぎる」(←この通りに言われてしまいました)ことで忠告がきました。ので。

はぁ……。

古くからの文学的苦悩に重なる新たなる悲嘆、何もかもが辛く苦しく哀しいのに、それでも何食わぬ顔をして週が明けるたび、またくだらない書類の山をこなすために、ちゃらちゃらばかげた「社会」に出かけなければならないのです。
恋愛がなんだ、つくり笑いしたり虚勢を張ったりして異性の気を惹きたがるのが人生の目的のばか者どもが、他人と競い争うのが人生の動機のばか者どもが。
 

●四川大地震~村上春樹~音楽

2008年05月12日 23時29分20秒 | 文学
薄ぼんやりした春の空が例年にもまして重たく、何だろう何だろうと頭痛に苦しんでいると、シューマンの交響曲第一番第三楽章が頭の中で回り出したので、CDラックのどこかにあったはずだと探してみたりしたのです。

中国四川省で大地震が発生しました。
とても大変なことで、被災した人、パンダたちのことを思うと、ほんとうに胸が締め付けられますが、不謹慎なようですが、そうではなく――「これか」と思ったのです。
大地震のニュースを聞いて、「これか」とぼくは思ったのです。
どうしてかな。

桜霞のころから、ぼくの頭痛はひどくなって、シューマンの交響曲第一番は頭の中で繰り返し続け、相矛盾するようですがシューマンの交響曲をぼくは大好きで、でも気分は鬱々。
シューマンの交響曲第一番第三楽章は2008年の春を予感していたものかとまで思ってしまいました。


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同じ日、5月12日の新聞に、村上春樹のロングインタビューが載りました。*1

要約すると、村上春樹が「個人的に好き」で新訳、刊行したアメリカ文学4作について、

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』サリンジャー
 『グレート・ギャツビー』フィッツジェラルド
 『ロング・グッドバイ』チャンドラー
 『ティファニーで朝食を』カポーティー
 
「だんだん翻訳の手ごたえがつかめてきて、そろそろ僕(村上春樹)の腕でもできるんじゃないか」と考えたことと、古い翻訳の『賞味期限切れ』が来たというタイミング。*2

これら4作は各作家の代表作であり、「都会が舞台になっている」ことが共通要素。
中でも村上春樹は、「チャンドラーの文体にすごくひかれる」。「何か特別なものを持っている」文体の何かは、しかし「訳してみてもまだ分からない」。

フィッツジェラルドとカポーティの文体は、「とにかくうまい、きれい、リズムがいい、流れる」。だから、自分(村上春樹)の文章もまだ直せると思う。が、「そんな流麗な文章は僕は書かない」。この二人の文章は、「僕が書くタイプの文章ではない」。
僕(村上春樹)は、もう少しシンプルな言葉で文章の艶とかリズムとか流れを出したい。

4作の翻訳を通して、「物語の骨格は、フィジカルな意味でしっかりしなくてはいけないという気持ちが強くなった」。


「これまでの人生で出会った最も重要な3冊の本」は、『ギャツビー』『L・G』と『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー。
「僕が個人的に偉大と考える作家を一人だけ選べと言われたら、ドストエフスキー」。
ドストエフスキーは、モーツァルトやシューベルトのような天才肌というより、「たたき上げ、積み上げて最後に神殿みたいな構築物を作り上げた」ベートーベン的作家。*3(そんなアホな(^^;)


執筆中の新作は、「06年のクリスマスから始めて、1年5カ月ぐらい書き続けて」おり、『ねじまき鳥クロニクル』を超える最長小説になりそう。

「僕(村上春樹)が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなもの」。「多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない」。
しかし、「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない」。

理想とする文学は、「何回でも読み返せる作品」「それ以外の試金石はない」「そのために、リズムのいい文章で人の心に届く物語を書きたい。それが僕の志です」。


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あまりにも突っ込みどころ満載の、このインタビュー。
しかし、不思議に腹は立ちませんでした。
だって読んでの通り、「肝心なことは押さえて(とくに要約ラスト3~4文のとおり)」いるのに、このズレっぷり……(^^;;;
むしろ、謎が解けたような。

この記事(インタビュー)を読んだときには、かなり脱力しましたが、いちおう以下に軽く突っ込んでおきます。


*1 村上春樹事務所提供ポートレート付、毎日新聞朝刊記事。ポートレートで村上春樹が着ているのは、"Great Aloha Run 2006"のヴィトンのTシャツ。

*2 原文は変わらないのに翻訳に賞味期限があるという考え方は論理的におかしいです。翻訳だけを50年おきに現代語訳にし直すべき、とでもいうのでしょうか。初訳の誤読訂正、解釈の違いによる別訳というなら、わかるのですが。

*3 たんに時代相違によるナンセンス(ドストとベートーヴェンの時代相違)のみならず、そもそも作家を作曲家に置き換えてたとえることじたい、とんでもない不条理、というか無効です、これ(^^;;;
だいたい、モーツァルトのような天才を音楽界の後世に探すならメンデルスゾーンでしょう。モーツァルトがやり残したことがあって再来したか、と思わせるのがメンデルスゾーンです。(なんで、そこでシューベルト?)
それに、逆読みしていくと、ベートーヴェン――ドスト――村上春樹?


 ありえない!(^^;;;


ドストエフスキーのどこがベートーヴェン的なものですか。(繰り返しますが、作家を作曲家に置き換えてたとえることなど無理ですが、それでもあえていうならドストはブルックナー的とでもいうべきか……。ベートーヴェンよりはしっくりくるけど、これもまたちがうよなあ)

村上春樹は、非常に局地的な偏った作品世界を持つ作家です。
ドストエフスキーも、どちらかというとそうです。
ですが、ベートーヴェンはいうまでもなくオールマイティな幅広さを持つ作曲家です。
そして――とベートーヴェンを、このスペースで解説するなど愚の骨頂ですね。
ぼくの書棚には、ずっと以前からベートーヴェンコーナーがあって、それは年々拡大の一途をたどっています。

しかし、うーん。
よりによって人類史上最大級の天才をつかまえて、天才肌というより<たたき上げ、積み上げて>とする村上春樹の見識不足には果てしなく気が遠くなりそうです。
いや、まったく、うーん……ちょっと、おかしいのでは。
 

●そのクレーム

2007年02月12日 22時40分24秒 | 文学
贔屓にしている文庫本カバーがあります。
柄合わせや作りもよくて、手作りの一点物ばかり。
いちおう市販されていて、不定期に入荷があります。
実際に読書のお供に重用しているのですが、ただひとつ、サイズに問題が……。

サイズ表示、縦16センチ。なのに、実際は15.5センチしかありません。
これについて、こんなクレームを書きかけ、やめました。

<今回も、とても素敵で作りのよいブックカバーで嬉しいです。
このシリーズを気に入っており、毎回楽しみにしております。
だからこそ、なのですが、一点どうしても残念な点があり、メールいたします。

ブックカバーのサイズについて、
表示通りの16センチならたいていの文庫本はカバー可能ですが、
実際(実物の商品)は15.5センチジャストしかありません。
これでは、岩波、新潮、角川、講談社文芸、ちくま、河出、PHP、などは大丈夫ですが、
文春文庫、集英社文庫、ハヤカワ文庫は入らないのです。
せめてあと2ミリ縦があれば入るのに、と思います。
表示通り16センチなら絶対に入りますし、せめて15.8センチあればと思うのです。

確かに文庫本カバーが16センチたっぷりあると、遊びすぎで不格好ですが、
15.5センチでは、合う物にはぴったりきてよいですが、かなりきつめです。
現に、文春文庫、集英社文庫、ハヤカワ文庫は入りません。

ハヤカワでもダニエル・キイス文庫のような特殊なサイズの物が入らないのは仕方ありませんが、
普通のハヤカワ文庫が入らないのは、困りますし、残念です。>


この指摘を、不適切であるとは思いません。
しかし、これで指摘した点が改善されるのではなく、「こんなクレームが来るくらいなら、いっそ製造そのものをやめてしまおう。どうせ採算の取れないラインなのだ」となったら……。
ただでさえこのブックカバー、「不定期入荷」の間隔は、確実に開いていっているのです。


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なじみの中型書店が、今月いっぱいで閉店するそうです。
日々の通り道にあって、雑誌、新刊のチェック、購入に利用していただけに、ちょっとショックを隠せないぼく。

近年、本は売れないようです。
発刊点数は増えているのに、書籍全体の総売上は下がる一方。
それに反比例するように、一点あたりの価格は高騰。
数年前まで400円だった文庫本が重版されると、価格は倍近くに跳ね上がっていることも……。


人間は、言葉無しには生きていけません。
そして、テキストとしての書物無しには餓えてしまうのです。
なのにどうして、本は売れないのでしょうか。


――安易なテキストがあふれ、「書物を読めない恐怖」感が薄らいでいると思います。
前の大戦で餓えたのは、食物に対してだけではなく、書物に対してもそうであったと聞きます。


どうして、食料が尽きることはないと無意識に信じることができるのか。
電子テキスト、モノとしての雑誌の脆弱さに無神経でいられるのか。(そのテキストそのものは重要であっても)

食料のストックには難しい点もあります。
でも、書物のストックは必ずしもそうではありません。
ほんとうに、個人の身の周りから本がなくなってもよいのでしょうか。
本は図書館にあればよいのでしょうか。(反実仮想)
  

●ブックカバー

2006年10月28日 19時25分03秒 | 文学
ブックカバーの歴史は、つまびらかにされていません。
そもそも、日本みたいに文庫本に、1「出版社がカバーをかける」→2「書店がカバーをかける」→3「マイカバーをかける」と3段階にカバーをかけて読むのは、世界を見渡せば特殊なことではないでしょうか。

大多数の人は、1+2の状態で、本を読みます。
次に、1のみの人。(「出版社のカバーを裏返して、白表紙にして読む」を含む)
みか5さいちゃんにいたっては、1+2+3です。*1
うっざ~w

おかげで、文庫本はいつもぴかぴか状態。
でも、ご家族*2 は1のみ派が多く、みか5さいちゃんがご家族に貸与した本は、後から見たらすぐわかるのです。
のべつ、みか5さいちゃんは、ご家族には甘いです。
ご家族には本を貸しますし*3 、読み方*4 も強要しませんし。


さて、視線を国内の外国人に移しまして。
日本語の読み書きをはじめた彼らが、日本の文庫本を読むときを観察します。
すると、おお!
1、2、3すべては取っ払われ(3はもとから「ない」かw)、裸の文庫本が表紙をぐしゃぐしゃにされながら、読まれています。

本にとって、どちらがしあわせでしょうか。
ぼくは、いちがいには言えないと思うのですが、本を大切にする日本の文化を重んじたいです。
産業革命に遅れたアジアの日本が、欧米列強に負け得ず、追い越せたのは、基盤に蓄積した文化の深淵によってです。
くだらないと本国の研究者にさえ唾棄されること多い近世の読み本も、日本人は大事に読んで楽しみました。日本のブックカバー文化も、その辺りに端を発するものではないかと考えます。


ときには、本の表紙、カバーを構わない奔放な読み方も心地よいかもしれませんが、それは自慢になりません。
道具を大切にすれば、道具が教えてくれます。
文学のことは、本たちが教えてくれます。
キチガイのように思われるかもしれませんが……。

みか5さいちゃんは、きれいな本を買ってきて大切に読むことも多いですが、うち捨てられたような古本でも連れてきて、大事に修復して*5 読んでいます。



*1 書店カバーが八重洲ブックセンターなら、1+2の状態で読むこともあります。
*2 主人(みか5さいちゃん)の家族ですから、敬称にします。ぼくは、みか5さいちゃんの執事(ひつじ)なのです。
*3 ご家族以外には、滅多に貸さないようです。
*4 左ページの左下端(のみ)をきれいな手でめくること、などの近世的不文律。
*5 ピンセットを使うくらいの簡単な修復ですけど。

●狂人が聖人になるとき(途中まで)

2006年08月16日 23時41分56秒 | 文学
病院という地場に充満する独特の「気」に弱いのです、みか5さいちゃん。
それは、病院には「健康ではない」と考えられる多くの人が出入りするのですから、その「気」をもろに被れば、誰でもたまったものではないでしょう。
「病院に行けば病気になるのでR(だから行きたくないのでR)」
みか5さいちゃんの口癖です。

「でもね、ヨンダくん。そんな場所を日常、職場としている人たちもいるのです。不思議だと思いませんか」
それは、お医者さんとか、看護士さんのことですね。
「お医者さんは、おかしいのでR。赤の他人である病人の『気』にやられないで、病気に対峙する。鈍感なのか、バリア体質なのか……それとも、狂っているのか」


ふえ~w
言ってること、支離滅裂ではありませんか。
でも、あれ。いや、そういえば。
精神科のお医者さんは、治療しているうちに、自分も精神病患者のように「おかしくなっていく」と聞いたことがありますし、そこからちょっと飛躍するようですが、「小説」というシロモノ。
書き物の中で、エッセイでも、紀行文でも、うんちく情報でもない「小説」。これはまさに狂気の産物ですよ。(余談ですが、「本が好きだ、読書家だ」といっても、小説読みだとは限らないので、要注意ですよね)
そんな小説を山ほど読み続けて、一見平気なあなた、みか5さいちゃん。何を言いますやら。
「みか5さいちゃんが小説を平気なように、お医者さんも病気を平気なのですよ」
「ぐう……w」

さて、そんなこんなで連れ出しに成功しました病院行き。
最近、胃の調子がおかしい、みか5さいちゃん。目指すは一路、「聖路加国際病院」です。
この珍道中どうなりますやら。


------(結局、病院に行っても、治療は二の次で、本との出会いが中心にすり替わってしまう、本末転倒なみか5さいちゃんです)------


日野原重明という医師がいます。
今さら語るまでもない、ご高名なお医者さまです。
聖路加国際病院理事長。齢95になろうかというご高齢にして、今は一年の三分の一を講演などで全国を駆け回っているとも聞きますが、行くたびエレベーターで一緒になります。
『生きかた上手』のベストセラーで、人生に指針を求める主婦のアイドル、カリスマともなっている、そんな説明が先に来るのは失礼な、医学界(医療現場)にゆるがぬ実績を重ねてこられた方なのだと、ぼんやり思い出します。そうですね、主にこちらの年齢の関係で、「地下鉄サリン事件」発生時の被害者受け入れ陣頭指揮のことなど。
およそ、日本の他の大病院とは趣を異にする聖路加国際病院の現施設を実現したのは、この先生の手腕によるところが大きいということです。


「でも、『葉っぱのフレディ』がどうとかいうの、好きになれませんでしたよ」(みか5さいちゃん)
「それ、日野原先生の著書ではありませんよ」(ぼく)
何か、(日野原先生の本を)読まなければならないような気がする。
どちらからともなくそう察して、みか5さいちゃんとぼくは、惹きつけられるように、『十歳のきみへ』を購入しました。数ある日野原重明先生本の中から。


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『十歳のきみへ』日野原重明(冨山房インターナショナル)

この本には「のされ」ました。
生きるとは、どういうことなのか――

<からっぽのうつわのなかに、いのちを注ぐこと。それが、生きるということです。>(p.31)

一点の曇りもなく、明瞭にする。ことのできる。それだけの経歴実績を。持った人なのだよなあ……。
また、自分以外の人のために時間を使うのは大きな喜びであり、その喜びをもらうことに、わたしは欲ばりなのだ、これはほかのことでは味わえない特別な喜びであるから、あなたもそうしなさいと、これまた一点の迷いもなくすすめます。「十歳のきみ」へ。

人々が旧弊固陋として、悪しき慣例を変えないのは、前例踏襲が楽であるからなのだけど、どんなに大きなエネルギーを要しても、よいと思う変革や改革には全力であたる。たとえ、<わたしの意見に賛成してくれる人がひとりもいなくても、まちがっていることをよい方向にあらためていく>。

実社会の大きな組織で、これを実践し続けてきたというのは並のことではあり得ません。――そして、日野原先生は、敬虔なクリスチャンです。

……信仰を持った人にはかなわないな。

薄っぺらい胡散臭い「生き方指南書」のような、数ある世の俗本とは、パワーが違うのでアリマス。


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学問の世界で「信念」を持ち出すほど場違いなことはありません。なぜなら、信念に根拠は必要ないからです。
しかし、日野原先生は読んでわかるとおり、信念の人です。そして、それを「社会的大規模に」実行、実践することに成功した希有な人です。(つづく)

●若松賤子

2006年01月19日 21時07分54秒 | 文学
探している品切れの本が、重版されていた(過去完了形)のを知らずに、悔やんでも後の祭り。
『小公子』若松賤子訳(岩波文庫)も、そんな一冊です。(1999年5月重版)
ところが、そのテキストをネットで閲覧できることを、最近知ったのです。

ここで、「とりあえず」は読むことはできます。
http://www.gifu-u.ac.jp/~satopy/llf.htm

1939年の初版は、ネットで一万円台で取り引きされています。ぼくは、1999年重版の方を欲しいのですが、まったく見あたりません。

いろいろな訳を読み比べて、今は国土社の本(白木茂訳)を気に入っています。子供向きの「世界の名作全集」だけど、抄訳ではなくて、美しい本です。
ちなみに、ヴァイオリニストの巌本真理(故)は、若松賤子の孫なのですって。知りませんでした。

●Yukio YASHIRO

2005年12月14日 23時53分16秒 | 文学
先月の、「福田恆存を語る」講演会のことです。
風邪気味なのに出かけて行った、みか5さいちゃんを心配するぼくに、「カエルコール」が鳴りました。
ゲコゲコ♪
「ヨンダくん、みか5さいです。今から帰ります」
「はい、気をつけて」
「みか5さいが着くまでに、調べてほしいことがあります――」

佐伯彰一による講演は、福田恆存の思い出よもやま話のように始まり、途中から三島由紀夫を絡めて語る福田、そして三島の思想的問題を福田はどう見ていたか、福田と三島、ともに劇的な二人の、そのドラマのエッセンスの違いは何か、という路線でシンポジウムに突入したそうですが、長老仙境の風格は脱線を恐れず、流れに付いていけない進行が的を外すので、みか5さいちゃんは、それはじれったい思いで聴いていたそうです。

中で、三島外遊の誘致計画に、前代の芥川の例をひいたところで、矢代幸雄の名に聞き及び、みか5さいちゃんの中に触れるものがありました。
佐伯は、芥川全集にそれが載っているかもと言ったのですが、「芥川全集には載っていない」(と、みか5さいちゃんはほぼ断言)「(芥川に外遊の誘いを)手紙―という形―にして出したのは(矢代ではなく)恒藤では」

「――でも、未定稿までちゃんと調べてくださいね」
「はい~w」

やはり、その件では、矢代の出した手紙も、それに対する芥川の返事もありませんでした。


あれほどまでに、「日本であること」「日本人であること」を強調し続けた三島の思想とは、果たして「本当に」日本的なものであるのか、その問いは、依然タブーのままでありましょうか。(そこに、福田の目は鋭く切り込むのです)