彼岸花が見ごろの季節を迎えたようですね。
しかし、私、このご当地で住みはじめてからついぞ見かけたことがありません。お墓参りに行くけれども我が家の菩提寺にも、家人宅の墓がある霊園にも咲いてはいないのです。不吉なイメージのある花ですが、白・赤共通する花言葉は──「また会う日を楽しみに」
今から十数年前の、拙ブログ初期のことではありますが。
同タイトルで日記をしたためたことがあります。当時もやや感傷的な喪失感を抱えたものでしたが。その頃、専門商社に勤めていたのですが、そこの展示ギャラリーに向かう途中でよく咲いていたのですよね。その前数年でかなりの身内を失ったものですから。
この夏終わりから、停滞していた事項がおおきく動き出し、解決に向かう兆しが見えました。
まず数年間膠着状態にありました契約ごとが、いよいよ大詰めの段階に入りました。来年春に最終的な処理をすれば片付きます。将来に渡る禍根を残さぬように尽力した成果です。
この一件は2014年初冬に降ってわいたものでして。
当時、私は亡くなった親族の事後処理やら、自分の資格取得やらに忙しく。相手先とは揉めに揉めて一時は裁判沙汰になるかも、とあちこちに相談したほどでありました。大の男たち数人に囲まれても引かなかった。どうやって勝とうかそればかり考えていました。宅建士、FP技能士に続き、行政書士の資格取得をしたのも、法律周りに明るくなるためでした。でも知識が無駄に増えたせいで、先回りして余計なことを考えてしまうようにもなったのですけれど(苦笑)。
数年前に埒のあかない担当者が移動になり、話の通ずる方になりましてから、トントン拍子に進む。
もちろんこちらも条件をかなり譲歩したものですが、それもいろいろリサーチ済みの上で。昨年に確定され安堵したものの、今年になってまた担当が変更されて、あわや交渉がひっくり返されるのかとやきもきしておりました。最後の交渉で口約束段階だった事項が結実し、トンネルの向こうが抜けて見えたのです。最後の抵抗勢力は身近な人間でしたが、これも地元議員さんの口添えで説得して頂きなんとか終わらせました。
そのあと、この9月には。
以前からお世話になっていました事業主さんのご紹介で、新しい取引先を得られる運びとなりました。数年来からの立て続きの契約不履行でストレスが溜まり、心身の不調が長引きましたが。この数箇月、ほんとに耐え忍んだ甲斐がありました。その事業主さんも、新しい方も、私とほぼ同年代の就職氷河期世代でかなりしっかりされている方でしたので、安心しています。
その一方でいささか悲しい知らせもありました。
空き家近くのご近所の方が亡くなられたり、介護施設に入居されたりで独居住まいになられたり。特に驚いたのはお隣の方が急にお引越しされてしまうことでした。ひさびさに空き畑の手入れをしていましたら挨拶に来られまして。親睦を深めましたのはまだ十年もたたないものでしたが、空き家の電気つけっ放しやら、道具の置き忘れやら、注意をしてくださり、菜園での収穫物をわけてくださったりもしました。しかし、そこのご高齢のご主人が御病気をされたとのことで家じまいを検討されたという話。
しかも、あと一箇月もないと聞きます。
末永くお付き合いできると見込んでいましただけにショックでした。ひょっとしたら、今生のお別れになるかもしれません。とても残念でなりません。でも、ほんとうに残念で悔しいのはご本人ご家族でしょう。私の家の事情も鑑み、いろいろお手伝いくださった方でした。感謝しても足りないくらいです。
ご親切いただきました御礼にと、お二方には進物品を贈呈いたしました。
昨年から収入面が厳しいので、あまり趣味嗜好品には濫費せぬようにしていますが、お金というものはこういう時にこそ使うものだと自分は思っています。
過去の勤め先でも個人事業上でもそうなのですが、ひとの出会いは種々さまざま。
衝突もあれば和解もあり、誤解もあれば解決もありました。コロナ禍の影響でうかつに面会できづらかったものですから、やりとりも電話口が多くて難航いたしました。
私がこのたびの件で学んだことは、ものごとが結ばれるには時期というものがあるということです。
賢しらだって無理に動かずに、時には待つことも、任せることも、そして負けないことも仕事のうち。安心できなかったのは、一人で進めようとして、他人を信用できていなかったからなのですね。
つぎにこの彼岸花の咲く時節に絡めた日記を書く折には、もうすこし自分が成長できていればいいなと反省してみるのでした。
(2021/09/24)