陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

オレンジ・シンドローム

2009-01-07 | 自然・暮らし・天候・行事


お正月も三が日をすぎると、商いの現場はオレンジをとりもどす。縁起のいい紅白を基調として、緑や金で高級感を持たせたニューイヤーカラーはなりを潜め、暖かい冬を演出するその色が戻ってくる。夏の終わりごろ、つとに青の涼しさで彩られた食のセールスステージは、オレンジに塗りかえられる。オレンジは秋のはじめから存在したのだ。それは紅葉のおもちゃの色であり、ハロウィンのかぼちゃ色である。スーパーだってデパートだって、照り葉のように染まる。

オレンジはもともと食欲を増進させる健康の象徴として好まれ、企業カラーとしても重宝されている。その代表例が、牛丼の吉野屋の店舗であろう。かつてのダイエーもそうだった。読売ジャイアンツのオレンジも健在だ。

こうした企業カラーにおよそ顕著なように、オレンジがとりわけ映えるのは、黒と白ととなりあわせになる場合でなかろうか。虎を思わせる黄色と黒のツートーンよりは警戒心をゆるませるが、やはり視認率をアップさせる組み合わせにちがいない。取り引きの人種である私たちは安堵する、黒文字が羅列された文書の最後に、朱があることに。名前の横に、朱の印が押されてあるとそれだけで、おおきな契約をむすび、誓いをたてたような気持ちになる。いっぱし、社会に義理立てをした気になるのである。


かつて私はこのオレンジをめったと身近にしていなかった。
服はもちろんのこと、室内のインテリアにおいてまで。十代の頃より青や黒をひときわ好んでいた私は、大学に進学して寮住まいとなると、一人の部屋を自分の色に変えた。招かれ客には、ことごとく、若い女性にしてはクールな部屋だと驚かれたのだった。

そんな私が当時ゆいいつ愛用していたオレンジが、原付だった。オレンジというよりは柿いろと言ったほうがふさわしいボディカラー。けっして、好んで買ったのではなく、安く売り出していたからだった。黒い油をにじませた、つなぎの作業服を着たバイク店の店主は、変わり種の色なので売れ残ってしまったのだといった。誰も買おうとしない、というのは意味もなく多数派への反逆心に燃える若かった私には、りっぱな購買動機だった。
その原付は学内の駐輪場に停めても、よく目立ち、ものを探すのに時間をとられるのを極端に厭う私にはうってつけの買い物だった。そして、はじめてアルバイトして買ったおおきな買い物だったために、誇らしかった。

愛車を得たあくる年の秋、彼女がはじめて在阪の私のもとを訪ねてくれた。
駅までスクーターでむかえにきた私をみて彼女は瞠目していた。車体に指を滑らしながら、お気に召した様子であった。
寮から最寄りの駅までの道のりは急勾配の坂道で、寮生のほとんどは原付か自動二輪のバイクを所有していた。その道はキャンパス内の道路なので、あなどってヘルメットを着用することもない。しかし、念のため、ひとつしかないヘルメットを貸した。彼女は苦笑いしていた。その被りものが車体と相容れぬ、派手なハワイアンブルーだったからだった。
ふたり乗りして、五分にも満たない走行のあいだ、彼女は子どものときのように、ぴったり抱きついてきた。

その秋の再会を最後として、私は彼女に会わなかった。長距離で快速の足を手にしたことが嬉しくて、冬休みも春休みも関西圏をドライヴして自由気ままに楽しんでいた。
ふるさとを忘れている間、彼女は自動車を運転中事故を起こした。車体が半分以上へしゃげたにも関わらず、奇跡的に無傷であったことも、電話口で聞いた。それから、マイカーを失った彼女が、残業つづきの会社へ毎日、一時間電車に揺られ、駅から新しい自転車で通っていることも。

その翌年の夏、悪い知らせをうけて帰郷した私は、彼女の勤め先に、放置されている自転車をひきとりにいった。
永遠に帰らない持ち主を待っている、その自転車は、ひときわ目立つあざやかなオレンジいろの車体だった。お揃いにしているなんて、ひと言も告げてくれなかった。朝とはいえとても太陽のきつい夏だった。木下闇すらなく炎天下のアスファルトをペダルで漕いで、あまり食事も摂れずに印刷物の締切に追われていた彼女が、倒れてもおかしくはないほど暑い夏だった。
角度を変えてその自転車を眺めまわすと、まだ新しい車体には刃のようなきらめきが走っていた。その一台を家に持ち帰った晩、私はひとり、まるでひとの首を抱くようにして、サドルに頬を寄せて、偲び泣いた。

一箇月ほどふるさとに滞在した私が戻ったとき、駅の駐輪場に停めてあったオレンジの単車は、忽然と消えていた。あわてて帰ったので車輪にU字ロックをつけ忘れていた。写真も撮らず、ふたりだけの秋を記憶するものは奪われてしまった。
バイクは盗まれて東南アジアかどこかへ売りさばかれたのだろうか。それとも…。彼女が天国で乗り回しているのだと、かってに夢想した。そう思いたかった。
ひきとった自転車は乗り手がおらず、その数年後、保管に困るという理由で、あずかり知らぬうちに処分されていた。


いま、部屋を見渡すと、ずいぶんとオレンジは増えた。私の冬はその色を求めてやまない。それはえてして健康的な理由とはいえない。
冬の寒い夜、光度が落ち、落ち陽のようにオレンジいろに近くなって最後の明るさを絞りだしているライトを偏愛しているのも。キャンドルライトの炎に魅されてやまないのも。ブログのカラーを秋の夕暮れどきから変えるのをためらってしまうのも。その理由による。












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2 Comments

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柿色 (Ms gekkouinn)
2009-01-14 04:13:58
オレンジ色ではなく柿色という言葉に、万葉樹さんとオレンジ色に惚れ直しちゃいました。(笑)

わたくしも若い頃はオレンジ色にはあまりご縁がなかったですが、いまやわたくしの穴倉のような書斎は柿色のジュータンカラーが基調です。変われば変わるものですね。(笑)
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朱は柿より出て、柿よりも朱? (万葉樹)
2009-01-14 22:23:56
ウェブ上の色見本表をみますと印刷物の色合いとは違うようで、私の思うオレンジは柿いろに近かったです。
オレンジというとビタミンカラー、南国の陽ざしをうけた健康的でジューシーな色。お正月の餅とともに紅白をなす蜜柑は、縁起のいい色です。

いっぽう、夕陽の色に近い果実といえば柿ですね。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という正岡子規の句にもありますように、晩秋のもの悲しい陽の色を思わせます。寒くなればなるほど照り変わる色は、紅葉と似ております。
柿というのは、まだ青いときに染料の原料として収穫されるものもあるらしく。渋い色味をしています。藍染めの色がふつうの青よりは褪せているのと同じですね。蜜柑よりも青いへたの部分がおおきいせいで、あのオレンジの実のなかに補色の青がうっすら見えてきます。ですから、なんとなく冷たいオレンジ系に感じられます。

お習字でつかう朱の墨も、柿いろというほうがふさわしいかも。単車のオレンジを柿いろと思ったのは、柿右衛門の赤絵磁器を思い浮かべたからでしょう。金属の滑らかな表面に塗られたその色は、陶器の赤を思わせますし、また柿の実の肌とも似ております。

>いまやわたくしの穴倉のような書斎は柿色のジュータンカラーが基調です。変われば変わるものですね。(笑)

敷物が原色のオレンジでなく、柿色というのはそのほうが落ち着くからでしょう。明度のたかい純粋なホワイトよりも、羊の毛のような白さのほうが柔らかくて。とくに寒くなる季節に足もとをくるんでくれるのにちょうど良さそうです。

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