陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「誰そ彼の枢(くるるぎ)」(四)

2009-05-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

なにか手立てはないものか、いまのうちに考えておかねばならない。
姫子が休眠しているあいまに、私がひとりでがんばらねば――。絹のような手触りのよい掛け布を姫子の肩まであげると、こっそり額にキスを落とす。決意でひきしめた唇も、姫子の柔肌にふれると甘くなってしまう。そろりと足音をひそめ、千歌音は月の社を後にしたのだった。

月面をなぞっていく影がやけに色濃くなっていた。闇がひときわ深まっている。なのに、夜目は利くので手燭もいらない。
階段をおりる際に、突風に吹きつけられて長い横髪が激しくはためいた。袂からとりだしたのは、姫子がくれたリボンだった。ときに月面は砂をまきあげるほどの風が舞うことがある。儀式の際にも、この豊かな黒髪をひとつ括りにすることはよくあった。そういえば、はじめて会ったときも、姫子は四つ葉をかたどった愛らしい髪留めを渡してくれたのだった。これみよがしに耳にかかる横髪をかきあげるしぐさをしたりして、指にからめてみたり、香りをほのめかしてみたりもして、すこしでも美しくそのひとにいい角度の素顔を魅せつけておきたくて。そんな乙女のいじらしい恋の一面が自分にあるとはつゆほども思っていなかったのだけれども、姫子は気づいてくれたのかしら。

頬を覆うものがなくてすっきりしたのも、つかのま、なにか鋭い葉先のようなものが千歌音の肌をかすめていった。うかと針をすべらしたかのような、チリっと線ばしった痛みは寒さのせいなのか。雪がかすかに眉を濡らしている。背をすくめて襟元をかきあわせた。隣に愛おしい人のいない夜はやはり寂しさもつのる。

社の背後はいまだに雪化粧でおおわれている。
青みのある白で塗りこめられた地表は、いたずらにビーズをばらまいたかのようだった。小さな宝玉の細かな反射をもつ美しい土地。それは私たちがふたりで築いた景色。足で踏むと、ざくざくと小気味のいい音がひびき、足裏もやわらかく藁をもむような心地がある。

月世界に季節はない。日めくりも暦もない。時の流れも方角も計れまい。
なのに、いや、だからこそ。私たちはこの砂だけがひろがった荒涼とした世界を何いろにも、いかようにも変えられるのだ。春はあけぼの、菜の花、梅の香、桜しだれ。夏のまぶしい翠と抜けるような空の青、秋はもみじ葉のから紅に枯れ尾花の芒(すすき)。どんな景色だって、鮮やかに生みだせてしまう。そして、姫子とふたりだけの撮影会。誰かに褒められるわけでもないけれど、ひみつのアルバム、とっておきの写真は増えていく。ふたりでささめき語り合った夢の苗をありったけ植えて、月を耕していくのだ。

あれは、いつの会話だったのだろう。
月の社を姫子が電撃訪問して居座ってから、最初はなにも要望はなかったのだけども。姫子ときたら、雪を降らせてから急に環境の変化に興味が湧いたものらしく。

「姫宮邸の裏にあったお池も凍らせたら、スケートができたかも。ここでできるかなあ」
「銀盤でもスキー場でもお安い御用でつくれそう。でも、姫子はまず練習しないとね」

そこで、しゅんとなってしまう姫子。後ろに垂れた犬耳がみえそうだ。
「だから、ふたりでいっしょにね。私もたくさん転んでおく練習をしなくちゃ。姫子を支えられるように、ね?」――千歌音が片頬笑みしてほんのり景気づけて。ほうら、こうやって、手をつないで、いち、にぃ、さん。ふたりして、両手をのばしてくるくるとゆっくりした独楽のごとくに旋(まわ)る、まわる。積もった雪に足がからまって、うひゃあと倒れこむ姫子。助け起こそうとしても、姫子にわざとひっぱられ、ひきずり落とされ、抱きとめられてしまう千歌音。離してくれっこない姫子。転がって、上を下への大騒ぎ。組み伏せた格好になって、顔を赤らめてしまう千歌音。しまいにはふざけてお互いの髪をてんでに編みあったりして、虎紐みたいだね、とくすくす笑いあったりもした。

銀雪を降らせて以来、こんなことのくりかえしなのだ。
雪のしんしんと降り積もる日にはこたつのなかでぬくぬくしているのもいいが、喜びかけずり回ってもよい。冷たさに頭がしびれて、甘さに酔いしれる。こんな私たちふたりの、はりきって、明るく、元気闊達な未来があってもよかったのだ。まだ十六歳になったばかりだったのだから。

ここで顎の下にちょこんと人さし指をあてて、物案じ顔の姫子。
いたずらっ気のある声で、おどけて、まれにとんでもないことを思いつく。お姫さまのご要望は壮大だ。でも、叶えてみせよう。それが、愛する貴女の姫宮千歌音なのだから。

「あ、そうだ。千歌音ちゃん、あのね。ここに武夜御鳴神(タケノヤミカヅチ)がいたら、おっきな雪だるまをつくれちゃうね。雪うさぎでもいいかな」

ほうら、こおんなサイズで。
と両腕いっぱい伸ばして、ぐるんと回す。双の瞳でみきれないぐらいの氷像が、姫子の頭のなかでは浮かんでいるらしい。姫子は思い描いたものを現出させたくてたまらない。

「姫子ったら、そんな冗談を言って」
「かまくらでもいいよね。中でお餅を焼くの。坂道がつくれたら、ソリですべってみたりして。いいなあ、そういう冬って」

姫子には両親がいない。幼少期には養い親の家で不憫な思いもしたという。
おそらく、そうした童心に帰るような遊びの時間が少なかったのだろう。千歌音が何不自由なく授けられてきた大人の庇護と愛に飢えているのだ。だからこそ、その望みにのらぬ千歌音ではないのだが、腑に落ちないことがただひとつ。そう、ただ、この一点――なぜ、そこで武夜御鳴神を呼び出す?! あの七の首機を…?



【神無月の巫女二次創作小説「花ざかりの社」シリーズ(目次)】




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