二次創作について、月1でどうでもいい私見を語る、このシリーズ。
さて、今回はいささかデリケートなお話をします。台風が日本を襲うこの時期に、いかにも荒れそうな話題をひとつ。
「腐女子」という言葉は、まだ健在のようです。
最近は「貴腐人」なる造語もあって、こちらは男性版なのかな? おもしろいネーミングですね。でも、自分から、ぼく「貴腐人」です、というひと見かけませんが。この言葉は、特定の性質を指して自虐的にいう言葉で、あまり仲良くないうちに相手さまには言わない方がよいみたいですね。
「腐女子」というのは、自分なりの解釈では、少年漫画や美少年アニメに出てくるキャラのBL妄想をする女性のたちのこと。しかし、ネット上の見解を見ると、それに加えて、自分が妄想できそうなキャラクターがあれば、原作物の世界観などを無視して、ひたすらBLに持ち込む人びと、しかも人気ジャンルがあればすぐに乗り換えてしまうタイプを指す。言葉は悪いですが、ビッチなどとも揶揄されていますね。代表例でいえば、NHKアニメ100年の記念企画番組で、視聴者投票で第一位を獲得した「タイガー&バニー」でしょうか。視聴したことないのだけれど、たしかにアメコミ好きな人なら嵌まりそうな魅力がありそうです。
私が想定している「腐女子」、たしかに少年ジャンプ漫画とか、ビッグタイトルが多いですよね。あとは、話題になったサンライズアニメとか。「聖闘士星矢」好きだったのが、「鎧伝サムライトルーパー」に、そして「新世紀サイバーフォーミュラ」にと、数年で新陳代謝があって、アンソロジーも発売されていたので、アニメ好きがジャンルに移動していくのは当然だと思っていました。たとえが古くてわかりにくいですね。いまだったら、なんだろ、「おそ松さん」?
BLの女性描き手をいっきょに百合に転向させたのが「美少女戦士セーラームーン」でしたよね。
もちろん、その頃の私は子どもで、二次創作なんて知らなかったですから、ただ大きいお姉ちゃん、お兄ちゃんたちが喜んでいるものだから、興味を持ってみようぐらいのハマり方でしたね。
今はネットがありますから、マイナー作品でも検索してファン活動をすることができますが、やはり若い子は流行に敏感だから、クラスで話題になっているメジャー作品に染まらないといけない義務感があるのではないでしょうか。彼女たちが望んでいるのは、ヲタク的な作品への理解ではなくて、イチオシカップルの妄想をして、仲間内できゃあきゃあ騒いで楽しむことですから、作品に深い思い入れもなくて、ジャンルを飛び移っていける。
そう考えると、ちいさな女の子ならびに一部の紳士諸兄に人気があるであろう「プリキュア」シリーズとか、「アイドルマスター」とか「アイカツ!」とかの美少女のアイドルものとか、「魔法少女まどかマギカ」とか、「Fate」シリーズは、派生作品がどんどん生まれるので、初期にハマったときの知識を捨てずに活かせますから、あんがい、重宝されているのかしら、と。
いっとき熱心に嵌まっていたジャンルを離れて、ひらりと別の花に飛び移る愛好者たち。
虫にたとえて蝶だと思えばよいが、それをイナゴだと揶揄して嫌う人もいる。ジャンルに砂をかけて去っていく、とも言われてしまう。ジャンルを離れたひとにも、それなりの理由はあるはずですし。橋下徹氏が自分の育てた維新の党を批判しているように、ジャンルのご意見番みたいにされた自分が怖くなってしまう人もいるかもしれませんね。
受容者側からしたら、二次創作者がいきなりジャンル放棄して制作してくれなかったら、恨みたくなるという気持ちも分からないではありません。私も「魔法少女リリカルなのは」は好きですが、人気が絶好調のとき縋りついて衰退したら興味失くすというのは、やはり作品愛に欠けると言われても仕方ないかも。
でも、作品愛って何でしょうね。
その作品を視聴しただけでなく、公式の関連グッズまで購入して金銭支援することか?
だとしたら、お金のあるひとだけのものになりますね。もちろん、経済効果もありますし、版権者にとってお金が入ってくるのは喜ばしいので、ファンが競いあってくれるのは内心大歓迎でしょうが。
何年もその作品だけを一途に思い続けることなのか?
作品に魅せられてまだ一箇月の初心者の言葉が、長らくのファンより軽いとは限りません。むしろ年代が異なるので新鮮な見方をすることもある。若年層ならば、いにしえの渋いアニメファンがするような考察をするひとはあまりいませんが、初々しい情熱がうらやましくもあり。
その原作者の他作品まで追いかけることなのか?
過去作を反芻しない作風だった場合、あるいはその原作者が寡作であるか、シリーズが長くはない場合、ファンは一作どまりになりやすい。余所へ流れてしまうこともありえます。むしろ、他人のつくった、その作品の類作を追いかけてしまうかもしれません。
定期的に二次創作物の絵や文をUPして、お祭り騒ぎすることなのか?
二次創作者が自作の絵や文章を添えて、広報を打って出るとき、自作の二次創作の注目を集めたいという野心はすくなからずあります。しかし、ブーム再燃で二次ものが見たいときに探しやすいという利点もあります。
作品もしくはキャラクター、声優、スタッフに対しての、批判を一切しないことなのか?
とくにアニメや映像、小説などの表現分野で、特定作品もしくは創作者を心酔して疑わないのは、あるいは腹に一物あっても口にしないのは、その分野で覚悟決めて飯を食っている人だけです。特定の業界は、みんな仕事でつながっていますからね。
公式が出した、あるいは、声の大きいファンが叫ぶ解釈をうのみにすることなのか?
長らくファンをして、二次創作なんかも手掛けると初心を忘れます。そして、私だけが知っているこの作品のあれこれを語って、イメージ固めをはじめます。私も自覚ありますが(笑)。自分で土俵固めしてしまってね、もう、何も掘り返せないという。二次創作物が原作者にありがたがられつつ、忌避もされてしまう由縁ですね。
どれにも正しさがあって、ないようなものですね。ちょっとずるい言い方なんですけど。
私は売り物で二次創作をしているわけでないので、べつだん、流行りものに飛びつく必要も、そもそもその時間もないのですが。それでも、二次創作のジャンルは複数あるので、ある作品においての「一途な」二次創作者ではないのかもしれませんね。
そもそもひとの興味は千差万別。
百合(GL)が好きでも、BLもNLも大丈夫というひと。あわせてプラモデルが好き、特撮が好き、歴史や伝奇が好き、刀剣が好き、いろいろあります。同じ百合だの、BLだの、にカテゴライズされたとしても、カップルの組み合わせで派閥なんかがあるようです。興味の重なるところ、積集合めいた部分が多ければ気が合うでしょうが。二次創作もですね、すればするほど、自分の嗜好がかたちになって明らかになりますので、原作から、あるいは周囲からのズレを感じやすくなるわけです。
同じ作品を見ていても、異なる人生を歩んできたわけですから、それは当然の道理なのです。
同じものを好きになったからといいましても、そこにある、作品への共感と、その人となりへの理解とは別もの。たとえば、癖のある論者や、ゆがんだ二次創作があったとしても、もし、あなたが真実その作品にいっときでも惚れ込んでいた要素があったというのならば、表明しないまでも、その気持ちは忘れないでいてほしいと願うわけです。
益体もないことをつらつら書いてきたこのブログも、とうとう十月を迎えました。
今年の秋も楽しいといいですね。
【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。