以前ツイッターのアイコン画像のお話をしたので、今度はハンドルネームです。
いまはハンドルネームって言わずに、ツイッターだとアカウントとかIDと言うんでしたっけ。創作者さんだったら、その昔はPN(ペンネーム)と言っていたものですが、最近あまりこの言葉を聞かなくなったような。ラジオのリスナーで投稿者をラジオネームの何とかさん、なんて読んでいますよね。ある特定の場所だけの秘密の名前があるというのは、ちょっとした快感であったりもします。子どもが秘密基地で徒名(ニックネーム)をつけあって遊ぶようなものですね。
二次創作者さんで、たまにですがキャラクターの名前を模したお名前を見かけます。そもそも、二次創作者がオリジナルを描くときに、お気に入り作のキャラだと分かるように酷似したデザインや、苗字や名前をもじったようなネーミングとかありまして、これはオマージュなんだなと分からせる場合もあるでしょう。
「あなたのことは、それほど」という不倫愛のドラマの原作漫画家のいくえみ綾さんは、私淑する女性漫画家くらもちふさこの作品のキャラクターの名前を寄せ集めたものだそうです。この作品が、この先輩がいなかったら、私はいなかった、私を育ててくれたのはこれ!という、深い愛情を感じますね。昔、狩野派の絵師など流派ごとの創作集団では、名前も相撲の力士のように、師匠から与えられるものでした。昭和前期の作家さんでも、ペンネームを師事した恩師に頂くという方も多かったそうです。二次創作には師匠などいませんが、あえて言うなら、その作品自体が師匠なものですから、愛情勝って、その名を一部頂くことは、精神的な師弟関係をほのめかす事象なのかもしれません。
二次創作者さんで、二次創作物刊行のときと、商業作家として自作を発表するときは、ペンネームを使い分けている方もいます。二次創作者さんでなくても、いますよね。たとえば、「少女革命ウテナ」の幾原邦彦監督は、「比賀昇(ひがのぼる)」という別名で脚本にクレジットされたことがありますし、「ユリ熊嵐」といアニメでは、原作者イクニチャウダーを名乗っていました。「神無月の巫女」の原作者の介錯先生は、「神誠しゃくあ」というアナグラムの筆名で、サンリオ公式の漫画を描いていますし、そのアニメ監督の柳原テツヤ氏は、まれに大上相馬という別名で他作品の原画に参加していることが判明しています。
創作者が別名を使いたがるのは諸事情があるのかもしれないですが、考えられるのは過去の自作が知られるとまずいような作品に参加する場合、かもしれませんね。あるいは、心機一転して作風を変えたいときに、かねてからの自分のスタイルを愛してくれているファンを裏切らないための手立てであるとか。二次創作者がプロデビューするときは、おそらく十中八九、ペンネームを変えるのではないかと考えられます。二次創作それ自体を売りにする場合は除いて。
作家名をころころ変えるぐらいならば、たしかに、一時的に別名を名乗ったほうがいいかもしれません。筆名を変えるのは変身願望でもあり、自由への逃亡であり、自分が背負った評判から逃れることもできます。悪意でかってに自己の名を騙られて他人を攻撃されたりする成りすましもありますから。しかし、極端に変えてしまうと、やはりアイデンティティの問題にもなりますので喜ばしくない。
あくまで個人的な意見なのですが、二次創作者の筆名に限って言えば、できればご自身の本名をあまり感じさせないもののほうが、好ましいですね。二次創作者という存在自体がファンタジーだと思っていますので。
私は「万葉樹」というHNですが、昔は、「よろず・はき」と読ませていました。
これは、すべてを棄てて生まれ変わりたいという捨て鉢な願望があってだったのですが、大陸の方と間違われるように思われたので、改名はぜずに、「よろずは・いつき」と読み方だけ変えています。結果、ややありきたりな下の名前になってしまいました。元横綱若乃花の、花田勝さんは読み方同じで漢字だけを変えた芸名にしていますけど、なるべく、それまでの自己同一性を保ちながら、すこしだけ自分をいじってみたいというときに、便利ですね。
ツイッターを見ていますと、同姓同名の筆名もあるものの、アカウントで分別できるのはとても便利ですね。筆名が二重の意味をもつとか、別のものの検索に引っかかりやすい方は、やはりアイコンをあまり変えないほうがいいかもしれません。
ただし、自分が何気なくつけたHNやPNが、うっかりなにかの作品キャラ名とかぶってしまい、検索にひっかかってしまうことはありえます。もしかしたら、自分の名前も検索汚染になっているのかもしれませんね。なので、いま、ここでごめんなさいしておきますね。
【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。