残りの人生
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ひっくるめて私の人生

杉並のアパートで 13

2020-01-15 15:57:23 | 日記
2020年1月21日 
いつもになく温かい冬とはいえ今日は北風が強くて寒く感じられる
誰も訪れることのない庭は今は花も咲かず何も植わっていないがらんとしたただの空間になってしまった
歳を取るとはこういうことなのか それとももっと違った取り方があったのか

考えても答えの出ないことで悩むのは愚の骨頂

おじいちゃん(私の父)が高齢で病床にあるとき、
「なぜ俺は生きているのか 何のために生を受けたのかずっと考えている 子供のころからのことをひとつひとつ思い起こしている」
「でも今生きている まだこの世にいる それでいい それだけでいいんだな」
そう私に言った
50歳そこそこの私はその言葉を聞いて あぁ父はもう死ぬことがわかっているのだな
生きていけないことを悟っているのだな 涙があふれて父に返す言葉がなく背を向ける
「なんだ 風邪を引いたのか 身体を大事にしろよ」私の背中に向かって父が言う

父が死んだとき私はへその緒を1本切られたような
ふわっと身体の半分が空中に浮かんだような感覚になった


杉並区浜田山
井の頭線西永福の駅から歩いて10分の2DKアパートの202号室

当初、節約のため学生だった潤一と2人で暮らしていた
潤一が1人暮らしを始めたのでそこに和雄さんと2人
新婚生活を始めたところだ

そこに生後3か月のあなたを連れて帰ってきた











アパートでの暮らしは楽しくもあり

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東京のアパートにもどるまで 12

2020-01-15 15:42:03 | 日記
あなたが産まれ年を越して1月
それは雪の深い年だった

おじいちゃんはかわいい孫ができたことが
よほど嬉しかったのでしょう
1月末に親戚一同集めてあなたのお披露目会を
会津の有名料亭貸し切りで行った
みんなあなたの誕生を祝ってくれた
そこには三鷹のおばあちゃんも来てくれた
そのとき写真を撮らなかったのだろうか
探しても見つからない

12月1日に生まれ いつ東京のアパートに帰ろうか
寒いアパートで生まれたばかりのあなたと2人
夫の帰りを待つばかりの生活
想像しただけで寂しくなった
わがままを言って2月末まで会津にとどまった
お父さんは寛大にも
私の気持ちを察してくれた

2月とうとうその日がやってきた
東京に帰る日
私は 帰りたくない このまま会津で暮らすことは出来ないか
と不可能なことはわかっていたがお父さんに胸の内を話してみた
お父さんは優しく諭してくれた
君の気持はよくわかる でも僕は君と陽祐を食べさせていかなくては
いけない 職場の港区役所をやめるわけにはいかないのだよ
私には十分わかっていたことだ

帰り支度をしているとおじいちゃんの呼ぶ声が
陽祐を抱きながら泣いていた
おじいちゃんが人前で泣いているのを初めてみた
よほどあなたと別れ難かったのだろう
親を泣かせてしまった


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