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気管支肺炎 55

2020-06-13 10:32:05 | 日記
あの日のことを思い出すと今でも胸がズキズキ痛む

1987年1月 4歳1か月
お正月を過ぎたある日
日曜日 いつものようにお父さんと3人で
港南荘近くの高輪公園に遊びに行った
午前中 あなたはなんとなくだるそうにしていたけど
それでもいつものように元気に走り回っていた

さぁ お昼になったし家に帰ろうか
その帰り道 急に顔色が悪くなった

帰って熱を測ったら38度
なんで気づかなかったのだろう
つらかったのね

今日は日曜日
明日朝一番で北里研究所病院に行ってみよう
だけど
その晩、あなたの具合はどんどん悪くなっていった
息をするたび 咳をするたびとても苦しそう
気管支に痰が絡むように苦しそうに咳をする

日頃よく熱を出していたけど今日のは違う
救急で行くか ひと晩様子を見るか
まんじりともしないひと晩

月曜日 朝ぐったりしているあなたをお父さんと二人で
タクシーで病院に運ぶ 
お医者さんから 
すぐに入院だよ 肺炎を起こしている
なんでもっと早く連れてこなかったの!


ごめんねごめんね 辛かったね 痛かったね
泣き声も弱弱しいあなたに胸がつぶれそうだった

すぐに点滴に入る
そして 
「ここは完全看護の病院です
ご両親は帰ってください 他のお子さんも
ご両親がついていないのですから
あとは私たちに任せて」

具合が悪くてぐったりしている息子を
おいて病院を出ざるを得なかった

次の日面会時間を待ちきれずに
行った
看護婦さんから
入院してよかったですよ
昨夜呼吸困難をおこして大変でした


あぁもし、もし 私の知らないところで
あなたが死んでしまったら 

面会の時
あなたはまだぐったりしていたけど
昨日より少し血色が戻っていた
お父さんも仕事を早く切り上げて
お見舞いにきた

そして消灯時間
陽祐が寝てから帰ろう
でも 完全看護
時間が来たら病室を出なければいけない
じゃあね また明日来るね
そんな私に陽祐は大泣き 泣いてすがってお母さん帰らないで
そんなあなたを後ろに私たちは病室を後にした
あのときのことは今でも忘れない
私も帰路でずっとずっと泣いていた
そして誓った
もし、次に何かあってもぜったいぜったい
完全看護の病院には入院させない!
辛い 辛すぎるではないか
子どもは親を求めて泣いているではないか
私はそんな子供を捨てるように出てこなければ
いけないではないか
なんと無慈悲な なんと無情な


そんな日々を6日重ね、やっと
退院の許可が下りた
心から安堵した
あんなに嬉しかったことはなかった

アパートに帰る途中、陽祐の大好きなお菓子を買い込んで
今日は特別だよ! 何でもOKよ~

子育て
これからも予期せぬ事態が襲うのだろうな



それから私は体調を崩してしまった
電車、バス、スーパー 閉鎖空間に入ると貧血を起こした
体重は37kgまで減ってしまった

子育ても仕事も家事も何一つ思い通りにならなくて
悩んで悩んで 心身症のような状態になってしまった

もう限界
私は仕事を辞めた
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