陽祐もうすぐ5歳
会津には川原がたくさんあって
よく川遊びに行ったね
おばあちゃんはホームヘルパーとして
市役所勤務
うちらが遊びに行くと仕事を休んで
最高のおもてなしをしてくれていたね
会津の家の前が空き地だった
そのときにおじいちゃんが土地を借りて
畑にしていた
夏になるときゅうりやトマト ナスなど
いっぱい作っていたよ
どれもこれもみんな陽祐を喜ばせるためだった
私は19の時に東京へ
大学受験に失敗したあと浪人は許されなかったので
父のコネクションで半官半民の会社
東北開発ハードボード工場で事務員として1年働いたが
どうしても自分の勉強が諦められなくて東京行きを計画
19歳の時親友を頼って聖家族寮に入寮
専門学校 JITS (Japan Interepreter Training School)で2年
通訳、翻訳、貿易関係の勉強など内容の濃い2年間だった
それから就職
結婚
父は私を大学1校しか受験させなかったこと
跡取りの弟を一番にしてしまったことなど悔やんでいた
父が死んで見つかった自分史の終わりに
”裕子、すまなかった
いろいろ苦労させたな
許してくれ”
と書いてあったけど
私は父にないがしろにされていたなどとは一度も思ったことはなかった
私は人と比べればいろいろ大変なこといっぱい経験した
自分に起きるいいこと悪いことすべての経験値が人間を大きくすると思っていたから
どんなことも逃げずに楽しんでしまおう
最後に人生楽しかったな~と感じればそれでいいと思っていた
でも今はその考え方間違いだったかもしれないと思う
しなくていい苦労や辛いことからはさっさと逃げ出せばよかったのかも。
今、こんなに悲しくて辛いこと、乗り越えられるのだろうか
何度も何度もくじけそうになる
考え方自体が間違いではないかと気づいたとき
自分そのものすべて生まれて来てから今まですべてが間違いだったのでは
と思う時がある