「熱狂
グループサウンズの時代」
と題した、「驚きももの木20世紀」のグループサウンズ特集。
冒頭では、これが放送された当時、人気だったJリーグと比較して、サポーターがいる点など、類似点もあるみたいなこと言ってた。
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わたしとしたら、Jリーグとはあまり比べるところがないように思うけど。本来の土俵がちがうというか。
司会は三宅裕司さんと大桃美代子さん。三宅さんはグループサウンズまっただなか。大桃さんは生まれた頃だとか。
ゲストにはタロー
めちゃくちゃ若い~
「初めて見る映像もありました。びっくりしました。どこで見つけてきたんだか~」
他にサンプラザ中野さん。
あおいとーりを~
と歌ってご挨拶。1960年生まれだそうです。子どもだったから。当時はマッシュルームカットだった。
高橋章子さん。27年生まれだけど、その当時は舟木一夫さんが好きだったとか。
いくつかのレコードを紹介。
ブルーシャトー
夕陽が泣いている
このB面は、なんと、
チビのジュリー
っていうんだって
三宅さん「チビのジュリー、チビのジュリーって歌ですね」
タローがちょっと苦笑い
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これはまだジュリーが有名になる前の曲だろうから、たまたまジュリーって女の子の名前なんでしょうね~。
おかあさん
三宅さん「確かこれ、泣きながら歌ってましたよね」
タロー「そうですね~」
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おかあさん、って、なんかすごいタイトル
グループサウンズじゃないみたい。
グループサウンズの歴史。
1964年の東京オリンピック開催。
当時は国をあげての一大イベントだった。
翌年1月、ベンチャーズが来日。切れのいいサウンドに日本中が熱狂した。
1965年5月、グループサウンズの
ルーツと言われた
フリフリ
発売。
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スパイダースはそれまでカントリーやジャズをやってたが、人気はいまひとつで、この曲でグループの存続をかけていたそうです。
堺さんや順さん、なんか今とあまり変わらないような。このとき、やってるのがモンキーダンスというのかな。
「スパイダースの再生をかけた曲で、外国の映像で、ビートルズを見て女の子が泣いてるのを見て、これは新しい音楽鑑賞の方法だと思った」と当時のホリプロの堀威夫さんのコメント。
スパイダースはこうして、ビートルズを意識してモデルチェンジしたそうです
同じ頃、ジャッキー吉川とブルーコメッツも、演奏しながら歌うビートルズスタイルに憧れたけど、ヒットする自信がなかった。
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このころはブルーコメッツは、歌手のバックバンドとかやってたんだって。
青い瞳
英語でふきこみ、最初は日本人が歌ってることを隠していたそうです
ジャッキー吉川さん「バンドマンが歌っても売れないと思ってた。歌手はみんないい男だって決まってたから、売れないと思ってたら、35万枚くらい売れた」
4か月後に日本語版が発売され、英語版の3倍売れたそうです。この曲でグループサウンズの地位が確立されたといってもいい曲だって。
そして、1966年6月、ビートルズが来日。エレキを弾きながら歌う姿に、みんなが憧れ、次々とグループサウンズがデビュー。
この武道館をみんなで観てたのね
いつまでもいつまでも
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寺尾聡さんなんだ
なんかすごい、お坊っちゃま風。
想い出の渚
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お馴染み、ワイルドワンズ。ワンズの人たちも長髪ではないのね。
夕陽が泣いている
ビートルズを意識したコスチュームとヘアスタイル、洗練されたサウンドでポピュラー音楽ファンには魅力ある存在に。
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こう見てくると、スパイダースがいちばんタイガースに近いかな。確かタイガースのメンバーはスパイダースのファンクラブとか入ってたんだよね。なんとなく憧れるのわかる気がする。
青い渚
再び、ブルーコメッツ。彼らの七三分けや、スーツにネクタイなどの渋いスタイルがお茶の間にも受けた。
短髪で、清潔感ある感じがうけて、グループサウンズでは唯一、紅白に出て、グループサウンズの頂点に
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いやいや~、グループサウンズというよりは、なんだか新入社員みたいな感じ。
タロー「懐かしいですね~。僕らデビューする前の話ですからね。このころはまだ、大阪で、いつかスターになりたいという気持ちで合宿して、アマチュアバンドですよね」
ここまでは、タイガースのデビュー前のお話。タイガースがデビューする前に、こんなにたくさんのグループサウンズがあったなんて、びっくり
でも、こうしてビデオ見てると、グループサウンズといっても、なんだかフォークみたいなグループもあるし、いろいろだったんだね。
確かに、タイガースみたいな、若くて、踊れて、楽器も弾けて、かわいい顔してるグループっていない。
そりゃあ、タイガースが出てきたときの衝撃ってすごかったんだろうな。
すごく納得してしまったわたしでした。