NHKクローズアップ現代の「働くのがこわい 新たな"ひきこもり"」 (2月3日放送)を視聴した。
そこでは就職氷河期で希望の仕事に就けず、以後20年近くも引きこもっている40歳の男性A氏が取材されていた。
A氏は4年前に事務職に1回就いたものの、仕事ができないことに罪悪感を感じ、2年でその会社をやめ、それから母親の年金だけで親子二人で暮らしていると言う。
病気で子供を亡くす親も不幸だけど、働かないで自分の年金で暮らす引きこもりの子供を持つ親も、子供が生きているにも関わらず、別の意味で不幸だなと思った。
番組の中で、A氏は農業の仕事はどうかと質問された際、「それで生計を立てていければ」と答えていたが、僕はそこにA氏のプライドの高さを感じた。
希望の仕事に就けなかったから挫折したと言うが、1度挫折してもどうしてもう1度他の会社に挑戦しないのだろうか?もしそれが本当に希望する仕事だと自覚しているなら、何度落ちても挑戦し続けるべきだと思う。
もし希望の職種に就けて、働き始めてから自分に才能がないと分かれば、その会社を辞めればいい。そして、もう1度自己分析し直し、新たにやりたいことを見つける努力をすればいいんじゃないかと思う。
その際、やりたい仕事が自分で見つけられなくても、それは引きこもりを正当化する理由にはならない。社会で生きて行くのは、何らかの形で社会に貢献する必要があるのだから、自分の時間を会社に切り売りして、お金を稼いで自立する必要があるからである。
「好きだ嫌いだ」なんて言っているのは、甘えに過ぎない。
自分がやりたいことを自分自身で見つけられない人に職業を選択する自由はない。
「働かざる者食うべからず」
ああだこうだと御託を並べずに、まず働いてみることが必要だと思う。働いてみることで、自分が好きなこと・できること・できないことがよりはっきり見えてきて、自分の方向性も分かってくる。
みんな悩みながら人生を歩んでいくのだから。
「行動する→考える→行動する」
これしか生きていく方法はない。
A氏も含め、多くの人が人間関係で会社をやめていく。その過程で人は心にトラウマを抱えてしまう。でも、他人に傷つけられることなく、社会を生きていく事なんてできるだろうか?
人は知らず知らずのうちに人を傷つけ、また、人に傷つけながら生きていく。それが現実であり、その現実を受け入れざるを得ない。
ある一定期間は、逃げてもいいと思う。でも、逃げ続けていては、絶対いけない。
第一、引きこもりの本人が仕事をせずに、社会と関わることなく、1人で家にいてインターネットでネットサーフィンしているだけでは楽しい訳がない。
ただ、本人が社会復帰したいと言っているが、心にトラウマを抱えていたり、何をしていいか分からない場合、国がサポートしていくべきかなと思う。
例えば、国が地方自治体などを通じて地方の中小企業などとネットワークを形成し、社会復帰者の受け入れ機関として協力を仰ぎ、受け入れた企業は何らかの優遇策を受けるなど、やはり社会全体が一体となって協力し合い、この問題を解決していく姿勢でいかないと、個人も社会も国も不幸だ。
みんなが自分の好きな事を仕事にしてお互いが助け合える社会、そんな世の中になったらいいなあと思う。
一番体力を使って長時間働いている労働者が一番給料が低かったりします。
本来、労働は楽しみのためにするものなのに、労働が苦しみにしかならない。
不公平な世の中ですね。
でも、それが現実ですから、1個人としてはそれを受け入れて逞しく生きるしかない。
笑って行きたいですよね。
恥ずかしながら私も働くのが怖い引篭もりです。
軽いdoença cardíaca congênitaでしたが1年ほど働いていました。
でも長時間労働でパワフルな健常者の板挟みで体力と神経が参りTentativa de suicídio。辞めました。それからも5,6回ほど職場を変えながらも働いていたのですがやはり体力がついて行けず1年でやめるのを繰り返し今は引篭状態です。
日本は長時間労働がセットになりますので持病を持っている人は引篭にならざる負えない事情もあります。