高校の時、英語の読解および文法能力を向上させるために、旺文社の「基礎英文法問題精講」を毎日解き、終わったら、最初に戻って何度も繰り返した。そして、語彙数を効率よく増やすために、「試験に出る英単語」、通称「出る単」も何度も繰り返して覚えた。
残念ながら、ポルトガル語に関しては上述の2つの問題集・単語集に匹敵するようなものは、僕が知る限り出版されていない。1998年にブラジルに住み始めて以降、結構ポルトガル語関連の参考書が出ているが、それでもこれはと思わせるほどのものはない。
外国語が上達する上でのキーワードは単語力と文法力。この2つを駆使して、まずは質の高い文章を精読し、語学に対する基礎力をアップさせる。あとはひたすら自分が興味が持てる長文をいくつも乱読していけば、自然に語学力は付く。語学の効果的な勉強法とはこんなものであろう。
ブラジルに来た最初の1、2年は先生と個人授業を受け、単語力・文法力の向上に力を注いだ。わざわざ、単語帳や表現帳を作り、毎日それを復習。重要そうな表現が出てくると、その文をそっくりそのまま暗記したりした。
でも、今は全く何もしていない。暗記作業を怠ってしまっている。30代半ばを過ぎると、記憶力は低下し、暗記作業に対する苦痛度も上昇する。さらに、せっかく暗記して覚えた表現も、そうそう日常生活で使うものでもない。また、「無理して覚えた語彙は、結局のところ記憶に残らないで忘れてしまうことが多い」と自己弁護して、勉強しない。仕舞いには、「語学力は仕事をしながらつけていけばいい」とか言ってしまう。
人間の能力は、使わないところは伸びない。スポーツジムでのトレーニングと同じだ。胸板を厚くしたかったら、そこの筋肉を集中的にトレーニングすればいい。ただ、何事もバランスが大切である。胸板だけあっても、全体としては格好がいいとは言えない。全体をトレーニングすることにより、均整の取れた体が作られる。
つまり、新聞の語彙を勉強してばかりいたら、小説に出てくる語彙は覚えない。偏った語彙の習得は、語学の総合力という点では望ましくない。手始めは好きな分野でいいのだろうが、徐々にその得意範囲を広げていくのがこつなのだろう。
今年は学校の方針で日本語を日本語のみで教えることをになり、僕自身も授業中はポルトガル語を使っていない。従って、多少高度な内容をポルトガル語で話す機会がなくなったために、ポルトガル語の話す能力が衰えているほか、生徒が理解できるようにと、分かりやすい易しい日本語で話しているので、日本語の会話力も衰えている気がする。
流暢にポルトガル語が話せるようになるには、もっと話す機会を作り、語彙数を増やし、お喋りな性格に自分を変えていかないと駄目だなあと思う。もう1度改めて、語学能力の向上を目指さないと。
残念ながら、ポルトガル語に関しては上述の2つの問題集・単語集に匹敵するようなものは、僕が知る限り出版されていない。1998年にブラジルに住み始めて以降、結構ポルトガル語関連の参考書が出ているが、それでもこれはと思わせるほどのものはない。
外国語が上達する上でのキーワードは単語力と文法力。この2つを駆使して、まずは質の高い文章を精読し、語学に対する基礎力をアップさせる。あとはひたすら自分が興味が持てる長文をいくつも乱読していけば、自然に語学力は付く。語学の効果的な勉強法とはこんなものであろう。
ブラジルに来た最初の1、2年は先生と個人授業を受け、単語力・文法力の向上に力を注いだ。わざわざ、単語帳や表現帳を作り、毎日それを復習。重要そうな表現が出てくると、その文をそっくりそのまま暗記したりした。
でも、今は全く何もしていない。暗記作業を怠ってしまっている。30代半ばを過ぎると、記憶力は低下し、暗記作業に対する苦痛度も上昇する。さらに、せっかく暗記して覚えた表現も、そうそう日常生活で使うものでもない。また、「無理して覚えた語彙は、結局のところ記憶に残らないで忘れてしまうことが多い」と自己弁護して、勉強しない。仕舞いには、「語学力は仕事をしながらつけていけばいい」とか言ってしまう。
人間の能力は、使わないところは伸びない。スポーツジムでのトレーニングと同じだ。胸板を厚くしたかったら、そこの筋肉を集中的にトレーニングすればいい。ただ、何事もバランスが大切である。胸板だけあっても、全体としては格好がいいとは言えない。全体をトレーニングすることにより、均整の取れた体が作られる。
つまり、新聞の語彙を勉強してばかりいたら、小説に出てくる語彙は覚えない。偏った語彙の習得は、語学の総合力という点では望ましくない。手始めは好きな分野でいいのだろうが、徐々にその得意範囲を広げていくのがこつなのだろう。
今年は学校の方針で日本語を日本語のみで教えることをになり、僕自身も授業中はポルトガル語を使っていない。従って、多少高度な内容をポルトガル語で話す機会がなくなったために、ポルトガル語の話す能力が衰えているほか、生徒が理解できるようにと、分かりやすい易しい日本語で話しているので、日本語の会話力も衰えている気がする。
流暢にポルトガル語が話せるようになるには、もっと話す機会を作り、語彙数を増やし、お喋りな性格に自分を変えていかないと駄目だなあと思う。もう1度改めて、語学能力の向上を目指さないと。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます