ブラジルワールドカップ開催まであと3ヶ月ほど。本当に開催できるのだろうか?
ここポルトアレグレはスタジアムは何とか間に合いそうだが、2週間ほど前に地元のニュースを見ていたらワールドカップ開催時の臨時施設の建設の費用を誰が持つかなんて事を今頃議論している。
ブラジル人の計画性のなさに開いた口が塞がらない。
先週の月曜日の夜、バスでセントロ近くまで行ったのだが、バスが来るまで30分も待った。さらに通常は15分もかからないところを、渋滞のせいで30分以上もかかった。
理由は2つある。
1つはブラジル人の中流階級が台頭し、今やポルトアレグレ市民の2人に1人が自家用車を持つに至ってしまったこと。もう1つは一昨年から市内の道路の大工事を始めたが、それがまだ全くと言っていいほど終わっていないことである。
通れる道路が減り、車の台数が増えれば、渋滞が悪化するのは当たり前である。
先週カーニバルが終わり、今週から小・中学校、高校、大学と教育機関での授業が一斉に再開されて交通量が一気に増えたため、市内の渋滞はさらに悪化したという訳である。
ワールドカップが始まる3ヶ月後までに、試合があるスタジアム付近の道路整備は終わるかもしれないが、それ以外の市内の道路工事が終わることは絶対にない。
となると、日本人をはじめ世界中から来た外国人サポーターがこの混沌としたブラジルの現状を目の当たりにする。ネガティブな印象しか持ち得ないと思う。
せっかくブラジルを世界にアピールするチャンスなのに、逆に世界に醜態を晒すことになる。もう完全に赤っ恥である。リオでのオリンピック開催も危惧されるかもしれない。
ブラジル国民自身も憤りを感じているからこそ、昨年ポルトアレグレでのバス運賃値上げ反対運動から全国規模の運動に発展したデモ行進でも、巨額な費用を浪費するワールドカップ開催の反対がブラジル政府に対する要求項目の1つとして含まれていたのである。
基本インフラが整備されておらず、必要最低限のサービスを国民に提供できていないのに、ワールドカップ開催の名目で国民の税金を無駄につぎ込むなという主張である。
市内の道路網を整備するという政策自体は良いことだし、一気に改善しようと思えば、その工事期間中にある程度市民に迷惑をかけることは仕方ない。でも、やるんであれば、工事は効率的に実施し、迅速に完了する必要がある。
ワールドカップ開催中、試合が無事に行われるために、通常よりも多くの警察官がスタジアム近くの警備に配置されるであろうが、それでも昨年起こったようなデモ隊と警官隊の衝突が再び起きる可能性は非常に大きいと僕は予想している。
日本から来られるサポーターの方には十分注意してもらいたい。
その期間だけでも、治安の問題も含め「おもてなし」の心で外国人に満足してもらう方が、どれだけ自分に得かが、分からないのは可愛そうです。
常に自分が一番最初に来てしまうため、少しだけの自己犠牲が、自分や家族、国を良くして、ストライキをしなくてすむ社会を作れる事を分かって欲しいですね!
慈悲の精神はあると思いますが。
国民性ですから、仕方がないです。
バスに乗っていると、よく教会の前で十字を切る人を見かけます。最初は「熱心なカトリックの信者だな」と思っていましたが、そんな熱心なカトリック教徒が多いブラジルで、「どうして犯罪が多いのだろう?」という疑問が湧いてきました。
また、路上の乞食にブラジル人は、よくお金をやります。昔よく日系新聞に、「良い場所の乞食の収入はすごい」と載っていました。これなどは完全に職業としての「乞食」で、相手の「慈悲の心」を利用している。
今回は、この言葉で締め括りたいと思います。
「相手が困っているので、片手を差しのべる」と知らない間に、「両手で抱きかかえていた。」
ひどい言い方かもしれませんが、ブラジル人の慈悲の精神は、偽りあるいは自己満足ではないでしょうか?
ブラジル人の皆さん「ごめんなさい」
日本人的感覚からすると、それは理解できない考え方かと思います。
でも、やらない人よりはいいという程度でしょう。
昔家なき子というドラマがありました。
同情するより金をくれ。
そんな感覚かもしれません。