日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

乞食に学ぶ人生観

2009年01月24日 04時51分38秒 | ブラジル事情
 ブラジルで自動車を運転していると、交差点で止まった際に、必ずお金を乞われる。大抵の人は何もあげないが、小銭を上げる人も多い。
 
 ブラジルには最低給料という、雇用者が労働者に支払わなければならない1か月分の最低の給料の額が定められており、この金額は毎年調整される。今年は確か400へアイスちょっと(時価1万5600円程度)である。
 
 現地紙の調査によると、この交差点で小銭を恵んでもらう金額の1ヶ月の総額が最低給料を超えるそうである。まあ、本当かどうかは分からないが、これが現実なら真面目に仕事をするのが馬鹿らしくなるだろう。
 
 ブラジル人の間でも、乞食にお金をあげるかどうかについての意見が分かれている。お金を上げると、彼らの労働意欲をそいでしまい、何の問題も解決しないし、乞食によってはそれで麻薬を買い、最終的には犯罪を引き起こすからと言って、お金をあげるのに反対の人。彼らは教育をまともに受けられる環境にない憐れな人だから、お金をあげなければ餓死してしまうのだから、慈悲をこめてお金をあげるのに賛成の人。
 
 どちらも一理ある。どちらが正しいということはない。
 
 真面目な人間は「世の中、努力すれば必ず報われる」と決め付け、努力していない乞食を不真面目な人と判断しがちである。でも、実は努力したくても生まれた環境が貧しく、家庭自体も崩壊しており、努力したくてもできない状況に置かされているのである。
 
 その一方、裕福な家庭に生まれて、努力しなくても何の不自由もなく生活ができるために、努力しない人もいる。これこそ非難に値すべきだが、どちらも不幸な人であることには変わりない。
 
 昨日のブログで、社会的に成功するために一番効果的で安全な方法は、自分の教育レベルをあげることと書いた。もしその人にほかの人にない才能や知識・技術があれば、その知識・技能をサービスとして必要としている人に売り、お金を得ることができる。
 
 大いなる真理は、その知識が貴重であればあるほど、その習得に時間がかかればかかるほど、それに支払われる対価は高くなる。だから、医者や弁護士の給料は高い。どちらもその知識と技能を身につけるには、本人の才能のほかに、習得するまでの時間とコストがかかっているのだ。
 
 日本などは、国民保険制度により、庶民でもその高い医療サービスを安く受けられる体制が一応整っているが、ブラジルなどは保険なしに個人的に診察を受けようとすると、10分の診察でも詐欺かと思われるくらい高い診察料を取られる。
 
 僕も翻訳の仕事をしているが、お客さんによってはその提示した値段を高いとみなし、断念する人も多い。でも、その値段は僕が11年間ポルトガル語を学んで積み重ねてきた知識と経験に基づくものである。だから、その値段は人を騙しているわけではない、意味がある値段なのである。
 
 ともかく、まず高い収入を得ようとしたら、この世の中で高い収入を得られるようなサービスの仕事に就けばよい。そして、そういう仕事を得るには、長い時間と多くの勉強が必要とされる。だから、一夜にして給料が一気に増えることはない。日々の積み重ねが大事なのだ。
 
 僕の考え方を大きく変えた著書「ユダヤ人大富豪の教え」では、年収1万ドル、10万ドル、100万ドルの人の中で、一番たくさん働いている人は年収1万ドルであるという事実に対して、主人公が不公平だと嘆いた場面で、メンターであるユダヤ人富豪は「世の中は不公平だとそのシステムを嘆くのではなく、そのシステムを受け入れ、より多くの人が幸せを得られるようなサービスを開発し、人生を豊かに生きろ」と主人公を啓発する。
 
 つまり、現状が悪いと嘆くのではなく、世の中に自分をうまく適応させて上手に生きられるようすればいいのである。
 
 日本では現在「ワーキングプア」と言って、いくら働いても貧しいという状態の人が多いそうである。これは結局、その人は誰もが今すぐにできることを機械のようにこなしているだけであるから、人生を通じたスキルアップにつながっていない。そして、社会もそういった種類の仕事に対して価値を置かない。つまり、給料は低く抑えられる。だから、いくら働いても豊かになれないのである。
 
 もちろん、頭を使わずにそういう単純作業が好きな人はそれでいい。でも、その仕事・給料に不満があれば、自分のやりたいことと能力を分析し、早くそこから抜け出す手段を見つけなければならない。そうしないと、その人の生活は一生変わらない。人間は習慣の動物だから、直にそのような奴隷のような労働状況にも慣れてしまうのである。
 
 僕ら人間は、僕ら自身の無限なる才能を信じるべきである。自分自身が信じなかったら、一体誰が信じてくれるのだろうか?冒頭で述べた交差点にいる乞食達にも是非自分を信じて、自分の人生を変えていけたらいいんじゃないかなと人事ながら思ってしまう。
 

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