日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

50歳リタイア計画

2011年03月17日 12時30分05秒 | ブラジル事情

 

 明石屋さんまの「ほんまでっか!?TV」を毎週楽しみに見ている。

 

 この番組では著名な大学教授陣が、「ほんまでっか!?」と疑わしくなるような最新のデータを引っさげて、番組内で面白トークを繰り広げる。脳科学や心理学の先生が提示される研究データに裏付けされた理論は、なかなか興味深い。

 

 この前の番組ではゲストとして大竹まこと氏がゲストとして出演し、教授陣達に「年を取っても孤高に生きていけるか」という悩みを打ち明けて、アドバイスを仰いでいた。

 

 A教授は「男性は50歳を超えると生物学的な存在意義はない」と答え、大竹まこと氏がそれに憤慨していた。A教授によると、男性は50歳を超えると、生殖機能も衰えるほか、子育ても終わってしまうので、もう生きている意味はないのだそうだ。

 

 確かにそうかもしれない。

 

 一方、もう1人のB教授はA教授の主張に同意しながらも、「50歳を超えた男性は、若者に社会からどう消えて行くか、その生き様・模範を示すという倫理的意義・生きる意味がある」と擁護した。

 

 それにも同感である。

 

 つい何百年前かまでは、日本人の平均寿命は50歳程度であったと言う。人生50年。そう、50歳まで生きれば十分であり、あとは余生なのかなと思う。

 

 ブラジルはついこの間まで、確か男性は30年、女性は25年、正社員として働けば年金が全額もらえた。今は男性・女性それぞれ5年ずつ伸びたと思うが、ちょっと前までは20歳から働き始めた男性は50歳で定年退職できた。だから、50歳ちょっとでまだまだ働けるのに、定年退職していた。

 

 ただ、彼らが退職して何をするかと言うと、大抵は他の企業で働いたり、自営業を始めたり、働き続けているのである。つまり、年金をもらいながら、さらにサラリーマンまたは自営業者として給料・報酬を稼いでいる。

 

 年金はもう死ぬまでもらえるので、それを基本収入として位置づけ、会社での収入をそれを補填するものとして稼いでいるのである。大抵の人は年金だけでも、何とかやっていけるので、若い時のようにがむしゃらに働かなくてもいい。精神的な余裕・ゆとりを持って、仕事に励める。つまり、ある程度仕事を選べるのである。

 

 そんなブラジル人を見て、65歳まできっちり勤めて退職金をもらい、余生は年金だけでやりくりしていくという日本人的な考え方を持っていた僕は、大きなカルチャーショックを受けた。

 

 しかし、同時に僕はその生き方に賛同し、僕も50歳でリタイアできるような生き方をしたいなあと思うようになった。

 

 50歳以降、働きたくない訳ではない。もちろん50歳以降も働き続けるが、ある程度仕事を選べる身分で働き続けたいのである。働かなければお金が足りなくて生活が成り立たないから、強制的に働く必要がある状態ではいたくない。

 

 やはり自分の長年のキャリアをうまい形で利用して、社会に貢献し、その対価としてそれに見合ったお金をもらい、生活できるのが理想のライフスタイルである。だから、60歳でも70歳でも、自分が必要とされる限り出来れば働き続けたい。

 

 特に年齢を重ねれば重ねるほど、社会に対する貢献度は、自分自身の存在意義にもつながるだろうから、何らかの形で働き続けたらいいなあ切に思う。ただ、冒頭の「ほんまでっか!?TV」のB教授が言うように、引き際は大切である。いつまでもポストに座り続け、後進に道を譲らないのは格好悪い。

 

 退く時は退く。そんな人生を歩みたい。

 

 でも、まず今は就職しないと。。。

 

 

 



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