昨日は地元有力紙のゼロ・オーラ紙の地震に関する取材依頼があり、同社の本社を訪ねた。仕事で1度同社の編集部に上司に付き添って行った事はあったが、私人として同社を訪ねたのは初めてであった。
ありがたいことに、自宅まで同社専用の車で迎えに来てくれ、本社まで連れて行ってくれた。同社に着くと、取材依頼をしてきた20代半ばくらいの小柄の女性ジャーナリストAさんが出迎えてくれた。そして、Aさんと一緒に編集部に向かった。
同社の編集部は4階にあり、柱やデスクを仕切る衝立などがないために、1フロア全体を一望できる。アメリカのドラマに出てくるオフィスのような、文字通り風通しのいい職場である。日本のマスコミのような殺伐とした雰囲気は微塵もなく、和やかな雰囲気であった。
僕が到着したのは午後6時半ごろとブラジルの一般企業ならもう終業時間であったが、報道という仕事の性格上からかフロアには100人近い職員がそれぞれのデスクに座って、コンピューターの前で仕事をしていた。恐らく翌日の新聞の原稿を書いていたりするのだろうが、詳細は分からない。
マスコミと聞くと、華やかなイメージがあるが、そこにいた職員はみんなごく普通のブラジル人で、異常に太った男性も数名いた。「ああ、この人たちが報道の第一線で記事を書いているのか」と1人感慨に耽った。
大学生の時は、その華やかなイメージに憧れ、マスコミ関係に就職したいと思った時期もあった。しかし、当時は人気職種で競争率も高かったため、文章力がない僕が入れる訳もないと挑戦すらしなかった。ただ、最近はその悲惨な労働環境などから、マスコミは大学生に人気がないと聞いている。時代は変わるなあと改めて思う。
Aさんからの最初の依頼内容では、編集部に来てNHKなどの現地での日本の報道番組を見て、それを通訳して現地の生の情報を伝えて欲しいとのことであった。
しかし、実際に編集部で僕が行ったのは、日本に家族を持つ日本人として今回の一連の東日本大地震をどう見ているかについての意見を述べるというごく普通のインタビューであり、少し拍子抜けした。ライブ感覚で日本の情報を僕が伝えていくのかなあと思っていたからである。
インタビューでは、現在の日本のニュースの焦点は原子力発電所の放射線漏洩問題であることを伝えた。その原発問題の進捗状況を知らせるために政府が会見を盛んに開いている事を伝えると、Aさんはこちらのマスコミでは「寝ろ、枝野(内閣官房長官)。起きろ、菅(首相)」(Durma, Edano! Acorda,Kan)と言われていると話してくれた。確かにそうかもしれない。
今回の地震は、地震・津波・原発問題と複数の問題を生じさせた複合的災害であるとともに、その被害地域が広域であるため、政府はその対応に時間がかかっている。通常の地震であれば、被害状況把握・生存者救出・被災者への支援・復興計画の実施と、地震直後からこれらの一連の作業を進められるが、地震発生日から1週間経っても原発問題が解決の目処がたっていないため、なかなかそれらの作業に集中できない。
また、電力供給に問題が発生しているほか、水・食料・燃料供給にも問題が発生しており、被災していない地域にまで被害は及んでいる。日本は外国と戦争したと言ってもおかしくない状況であり、戦後最大の日本の危機と言ってもおかしくない。ただ、戦後の日本が焼け野原から復興・復活を遂げたように、日本は絶対にさらに強くなれると僕は信じて疑わない。
Aさんはチリで大地震が起きた際に、被災者達が商店などを襲い、食べ物などを略奪したことに言及し、今回日本人がお腹が空いているにも関わらず、きちんと整列して配給される食料を待つ日本人に驚きを隠せないらしく、同時にブラジルなら絶対に略奪が起きるだろうとその現状を嘆いていた。
日本の現代の若者は覇気がないとか、内向きだとか言われている。しかし、戦後も今も日本人としての長所は失われていないのだ。
「礼儀・忠節・献身・敬意」。
僕ら日本人は日本人として生まれた事に誇りを持つべきなのかなと思う。
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