日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

サービスを受ける人とサービスを提供する人

2012年08月24日 15時09分40秒 | 旅行

 今日はサービスを受ける人とサービスを提供する人について考えたい。

 当然の事だが、大抵の人は取り敢えず高校を卒業するまではサービスを受けるだけの人である。

 もちろん、高校生でもコンビニでアルバイトなどをして、サービス(労働)を提供する事で対価としてお金を稼ぐ事は可能である。

 でも、多くの人は大学生になって初めてサービスを提供する人の側にも属する事になるのではないだろうか。

 僕自身も大学1年生から塾講師などのアルバイトを始め、教育サービスを提供する人としてのキャリアを開始した。

 ただ、その時点での「キャリア」というのは本当に未熟で、専門性もなく、一過性の仕事であった。

 本格的にキャリアを積み始めるのは、社会人になってからだと思う。

 僕はJICAを通じて初めてブラジルに来た当初は、日本語教師としてサービスを提供する側の人間として活動しつつも、ポルトガル語の習得を中心にサービスを受ける側の人間として色々な事にチャレンジして自己研鑽に努めた。それが将来のためになるのではと思ったからである。

 しかし、ここ10年ほど僕はサービスを提供する側の人間としてしか活動していないような気がする。生活を成り立たせることだけに必死だったのである。

 日本語の個人クラスのほかに、2週間前に大学の日本語公開講座が2クラス始まったこともあり、お蔭さまで忙しくさせてもらっているが、それはすべてサービスを提供する側の人間としての活動である。

 生徒の1人にも指摘された事だが、もちろん教師として教育サービスを提供していても、実は生徒から色々な事も学んでいるため、一概に一方的にサービスを提供しているという訳ではない。

 授業をすればするほど経験を積み、日本語教師としていくらか成長できている事は確かだろう。でも、そういう実感はあまりない。

 僕の生徒を見ていると、目的意識を持った優秀な生徒が多く、他の習い事をしたり、研修に行ったり、資格を取ったり、目に見える形でのキャリアアップを図っている。

 そういう彼らの状況を見ると非常に羨ましく感じるとともに、僕はいつまでもサービスを提供しているだけでいいのだろうか、このままただ歳だけとって行くだけかと不安にかられる。

 ただ、真剣に将来を考えても、ここブラジルで日本語教師としてキャリアアップを図れる手段がないのである。そして、たとえあったとしても、それが給料のアップとか仕事に明確な形でつながっていかない。

 そこが何とも辛い。日本の将来と同じで先行きが不透明なのだ。

 社会人である以上、サービスを提供していく義務があるし、それをしなかったら何よりも生活自体が成り立たない。

 本当はすべての仕事を放り出して、学問だけに集中したいなんていう衝動にもかられる事もあるが、それを実行するのは非常に難しい。

 折衷案として、働きながら、出来る範囲内でキャリアアップを図ればいいのではとも思うが、そんな簡単に両立できるものではない。

 学生の頃、「社会人になったら勉強出来ないから、今のうちに勉強しとけ」と言われたものだが、それが真実だと身を持って知る。

 世の中には一生、もしくは一生のほとんどをサービスを受けるだけの人間として生きて行く人もいる。でも、僕からすると非常に不幸に思える。だって、社会に何の還元もせず、消費者としての役割をこなしているだけだから。

 一方、ずっとサービスを提供するだけになってしまうと、受ける側の人間の気持ちも分からなくなれば、人間としての知識・教養が深くならないような気がする。

 難しいな。生きて行くのは。

 ランキングに参加しています。

 応援のクリックお願いします。

  にほんブログ村 海外生活ブログ ブラジル情報へ

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿