『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹 文藝春秋
これまで純粋にランニングにまつわるエッセイとして楽しんでいた本書ですが、
走り続ける人(これは物理的に走り続ける人ももちろんですが、人生を走り続けるという意味でも)への
エールとしてどのように描かれているのかという視点で改めて読んでみました。
本書(筆者によるとランニングに関するメモワール)には2005年~2006年にかけて
筆者が参加したニューヨークシティマラソン、ボストンマラソン、村上トライアスロンへの
準備から完走までが9章全ての章にわたって描かれています。
まず秋のNYCマラソンに向け夏の走り込みから入ります。
ここでは「継続すること」が何よりも重要だと説きます。
「いったんリズムが設定されてしまえばあとはなんとでもなる。
しかし弾み車が一定の速度で確実にまわり始めるまでは
継続についてどんなに気を使っても気をつかいすぎることはない。」
走り込みのリズムが設定された後には、実際のレースでのペース配分やコースのアップダウンを想定して
筋肉に負荷を与えるトレーニングを重ねます。
「注意深く筋肉に段階的に負荷をかけていけば
筋肉はそれに耐えられるように自然に適応していく」
筆者は小説を書くために必要な能力として才能の他に
集中力と持続力を挙げていますが、
これを伸ばす方法は上記のような筋肉の調教作業に似ているとしています。
よって、小説を書く方法の多くを道路を毎朝走ることから学んできたといいます。
「日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事することが必要だということを
身体システムに継続して送り込むことによって後天的に獲得し向上させることが可能である」
レースでの順位、他人との勝ち負けというのは
トップレベルのランナーにとってともかく、
アマチュアランナーにとってはあまり重要ではありません。
それよりも「自分自身の設定した基準をクリアできるか、できないか」に重きをおきます。
「目標タイム内で走ることができれば"何かを達成した"ということになる」
「達成基準のバーを少しずつ高く揚げ、それをクリアすることによって自分を高めていった」
以上、筆者がマラソンを走るために、または小説をかくためについて語っている点を抜粋しましたが、
・走り込み期間(=基礎固め期間)は結果はさておき、リズムが設定されるまでとにかく継続すること。
・才能をoutputするために必要となる集中力・持続力を伸ばすために意識的に継続して作業を行うこと。
・他人との競争ではなく、自分の中で基準を設定し、その達成に向けて努力すること。
これは人生を走り続けるためにもヒントになると感じました。
私はハーフマラソンしか走ったことがありませんが、
そのときはラスト1kmのときに「ここで踏ん張れなければ、仕事でも成果を残せない人間だ」と自分に言い聞かせて、
スパートをかけて前を走るランナー数名を追い抜いてゴールしました。
ランナーを抜いたことが重要ではなく、自分が納得出来る走りを一番苦しいゴール直前に出来たかどうか?
ランニングを通して自分の成長を追い、それは自分の人生にも応用を効かせることが可能だと感じました。
だから筆者の言葉というのは走っている自分を頭の中で想像するように、自分の中に入ってきます。
本書ではフルマラソンを走る度に自分の設定した基準をクリアし続ける好循環が回らなくなるときが訪れたとあります。
筆者が「ランナーズブルー」、走ることとの「緩やかな倦怠期」と呼ぶものですが、
これをいかに乗り越えてNYCマラソンに臨んだのか?そして筆者は自分の基準をクリア出来たのか?
この続きはまた後日に書くことにします。
ありがとうございます。
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