思いの外、雨量は少なく、お客さまに会いに出かけれたけれど、
昨夜、キャンセルの電話があり、2週間後になりました。
あちらの方は、大雨警報が出ているから、正しい判断だと思います。
明日は地域の草刈りの予定、今のところ弱雨予報だけれど、、、、、、
ALS患者さんの死が、積極的安楽死か、嘱託殺人かで、
その行為をした医師が逮捕されました。
スイスは1942年から、ヨーロッパではオランダ、ベルギー、レクセンブルク、
アメリカは6つの州、オーストラリアはビクトリア州、
カナダや韓国も、積極的安楽死が法律で容認されています。
本人の意思や、家族間の同意で延命治療を行わない場合の、
消極的安楽死は日本でも増えているが、法律で決めるのは難しいと思う。
だいたい、今の政治家達では無理だろうと思うし、
諸外国で容認する国が増えれば、日本もそうなるでしょうね。
個人的には、死生観を日頃から考え、意思表示が必要に思う。
生れつきの障害と、人生の途中から障害者になるのでは、
精神力も違うし、まだまだ障害者に偏見があるような社会を感じます。
パラレンピックも障害者のエリート達で、治療も器具も金次第です。
自分だったらどうだろうと考えます。
金銭的な社会保障があり、孤独感が無ければ生きれると思う。
手が動かないと編み物が出来ないので、成ってみないと分からないが、
意思表示ができて、パソコンが使えれば生きがいになるかなとか、、、
では、突然眼が見えなく成ったら、やっぱり死にたいと思う。
私ではなく、息子だったらどうだろうか?
それでも生きて欲しいと思うが、やはり本人の精神力と社会保障だろう。
安楽死を問うより、障害者が生きやすい社会が先で、
日本は隔離的な保障に感じるので、共生的な社会が理想で、
意識も税金の使い方も、まだまだ発展途上のように感じます。
安楽死も尊厳死も人それぞれの死生観で、個人的な問題です。
罪に問われれば、検察や司法が動き、多額の税金が使われる。
でも、容認すれば財産が絡む場合、事件性も増えるだろう。
道路が繋がり、、通信が繋がり、画一化された日本。
当たり前の日常が、コロナ禍や自然災害で、不安定なモノに成った。
思考停止のまま、組織に従っても、未来の保証はお金で買えません。
死が身近にある現実を、より意識して日々を暮らしたいと思う。