今日は75年前に長崎に原爆が投下された日です。
先日、NHKBSで八月の狂詩曲を観ました。
以前も観たように思うが、意識してなかったように思います。
長崎で被爆された祖母の家に、孫達が集い原爆の話を聞く。
祖母の兄がハワイで存命していると分かり、
成功者になっている叔父の家に、母の代わりに息子と娘が行くが、
父親が長崎の原爆で亡くなったことは、告げません。
孫達の手紙でその事を知った、リチャードギアの演じる息子が、
長崎を訪れ、孫達との交流を描いた映画です。
長崎平和公園内にある、平和の泉の石碑が映画でも登場します。
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
―あの日のある少女の手記から
私も40年前に九州を旅して、長崎を訪れたとき、
この言葉が深く記憶に残っています。
コロナ禍で、何もかもバイ菌のように殺菌していますが、
あの暑い夏、汚い水でも飲んで命を繋いだ事を忘れないで欲しい。
戦争に対しても、世代間での意識の違いを映画は描いてます。
孫達は事実を伝えたけれど、親達はアメリカ人に嫌な思いをさせると、、、、
長崎に来た、従兄弟のアメリカ人は、素直に原爆の事を謝ります。
戦争も、原爆投下も、人それぞれの思いはあると思いますが、
自分自身で、深く考えるが、コロナ禍にも繋がると思います。