プシュカルでの生活は、毎日が新鮮で楽しかった。
アンドレは超ベジタリアンで、シルクは身につけないし、ドラゴンの模様の紙さえも、使用しない。
寺院内の敷地に、野菜まで作っていた。
井戸から水をくみ上げるのに、自家発電機を使っていたり、
ソーラーでクッキングの出来る用具を作ってみたり、意欲のあるカナダ人でした。
今頃、どこで何をしているだろうか?日本の原発事故を、どう思っているのだろうか?
ツレは窓を開くと下に湖のあるホテルの個室を借りて、優雅に過ごしていた。
小さな街なので、ご近所さんみたいな感覚でした。
シャワーやトイレは共同だから、高くはないので、人気のあるホテルのようでした。
時々、尋ねては、シャワーを無断借用したりもしました。
体調も少しずつ回復し、マサラドーサぐらいなら食べれるようになった。
鉄板でクレープのように、生地を焼き、中にジャガイモのカレー煮みたいなものを挟んで巻きます。
三角にして、揚げたのがサモサですね。ランチに良く食べました。
人間というのは、不思議な生き物です。
あんなに不安だったインドが、もう楽しくて、楽しくて。
それは何とか生活を立て直し、無我夢中で、なりふり構わず、生きているライブ感ですね。
ツレの事など、どうでもよくなったのですね。
心配したり、不安になる余裕などなく、体調を治す事に懸命でした。
生きがいのある仕事があって生活できれば、幸せを感じるのと同じです。
ムラのチャイ屋には、毎日のように行っていた。
顔見知りも出来、ジャパニと呼ばれていて、野菜も頂いたりした。
コミュニュティに入ったのではないけれど、同じ空間に住んでいる親しみが、孤独を癒してくれた。
お寺の屋上には、孔雀が散歩して、朝もの凄い声で鳴いたり、別世界でした。
唯一、猿が怖かった。しっぽの長いマントヒヒのような猿に狙われていました。
入り口で鍵を開けようとして、持っていた大根を下に置いた瞬間、見事に持っていかれました。
私が出ようとすると、数十匹の猿が周囲から、私を見ています。
怖くて、一歩も進めなくなりました。
大声を出すと、寺の主が猿を追い払ってくれ、私に棒を持たせてくれた。
棒を振り回して見せると、近づいては来ません。
いろいろと、学習しましたね。
ターリーというカレーの定食のような、メニューがあります。
ツレとの最後の晩餐は、ホテルのガーデンレストランの、ターリーでした。
私はまだカレーが食べれないので、チャパティを少し頂くだけでしたが、
このターリーが食べれるようになったら、プシュカルを出ようと決めていました。
ツレと再会するのは、4ヶ月後のバリ島でした。
そして、私は体調が戻ると、アンドレに、使用していた物を渡し、ウダイプルに向かった。
続く