雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

1987年インド紀行 vol. 6 プシュカル その2

2018-07-20 06:41:53 | 

プシュカルでの生活は、毎日が新鮮で楽しかった。

アンドレは超ベジタリアンで、シルクは身につけないし、ドラゴンの模様の紙さえも、使用しない。

寺院内の敷地に、野菜まで作っていた。

井戸から水をくみ上げるのに、自家発電機を使っていたり、

ソーラーでクッキングの出来る用具を作ってみたり、意欲のあるカナダ人でした。

今頃、どこで何をしているだろうか?日本の原発事故を、どう思っているのだろうか?


ツレは窓を開くと下に湖のあるホテルの個室を借りて、優雅に過ごしていた。

小さな街なので、ご近所さんみたいな感覚でした。 

シャワーやトイレは共同だから、高くはないので、人気のあるホテルのようでした。

時々、尋ねては、シャワーを無断借用したりもしました。

体調も少しずつ回復し、マサラドーサぐらいなら食べれるようになった。

鉄板でクレープのように、生地を焼き、中にジャガイモのカレー煮みたいなものを挟んで巻きます。

三角にして、揚げたのがサモサですね。ランチに良く食べました。


人間というのは、不思議な生き物です。

あんなに不安だったインドが、もう楽しくて、楽しくて。

それは何とか生活を立て直し、無我夢中で、なりふり構わず、生きているライブ感ですね。

ツレの事など、どうでもよくなったのですね。

心配したり、不安になる余裕などなく、体調を治す事に懸命でした。

生きがいのある仕事があって生活できれば、幸せを感じるのと同じです。


ムラのチャイ屋には、毎日のように行っていた。

顔見知りも出来、ジャパニと呼ばれていて、野菜も頂いたりした。

コミュニュティに入ったのではないけれど、同じ空間に住んでいる親しみが、孤独を癒してくれた。


お寺の屋上には、孔雀が散歩して、朝もの凄い声で鳴いたり、別世界でした。

唯一、猿が怖かった。しっぽの長いマントヒヒのような猿に狙われていました。

入り口で鍵を開けようとして、持っていた大根を下に置いた瞬間、見事に持っていかれました。

私が出ようとすると、数十匹の猿が周囲から、私を見ています。

怖くて、一歩も進めなくなりました。

大声を出すと、寺の主が猿を追い払ってくれ、私に棒を持たせてくれた。

棒を振り回して見せると、近づいては来ません。

いろいろと、学習しましたね。


ターリーというカレーの定食のような、メニューがあります。

ツレとの最後の晩餐は、ホテルのガーデンレストランの、ターリーでした。

私はまだカレーが食べれないので、チャパティを少し頂くだけでしたが、

このターリーが食べれるようになったら、プシュカルを出ようと決めていました。


ツレと再会するのは、4ヶ月後のバリ島でした。

そして、私は体調が戻ると、アンドレに、使用していた物を渡し、ウダイプルに向かった。

続く


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