真の動物福祉牧場を目指して

Japanese History X

 今回は話の流れ的に、また「地球に住めなくなる日」について語って「#惨禍」とするべきなのですが、それでは余りに陰惨すぎる気がしてやめました。

 「ジャパニーズ ヒステリー X」というタイトルはアメリカの名作映画にインスパイアされたモノですが、たまたま今朝NHKで「岸信介」についてのドキュメンタリーをやっていたので書く気になりました。

 このドキュメンタリー自体は読売新聞社長(現役記者)の回想録で、彼の人生についてはテレビで充分に語られていましたが、「安保闘争」と岸信介についてはもっと深く語られるべきかと思います。

 記者の名前は忘れましたが、彼が語った学生時代の「反戦運動」は、堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」の様な公安による拷問までは行かず、学徒動員されますが丸谷才一「笹まくら」の様に逃げ回るコトもせず、目取眞俊「水滴」の様な実戦での人道主義も語られませんでした。

 しかし彼は戦後も強い反戦思想を持ち続け、共産党のオルグ(組織者)として東大に潜り込んで数千人を「安保闘争」に導きます。
 因みに私も昨日、渋谷の東大教養学部に行きましたが、古いサークル棟は取り壊されていました。
 ここは堀江もんが獄中記で青春の思い出を描いている場所で、私も昔そこで共産党のオルグと話した思い出があります。
 
 話を記者に戻しますと、彼は当時の共産党が取った「毛沢東主義」の武力革命路線に反対して離党し、読売新聞記者になって「山岳闘争」に走った仲間たちを取材します。

 「安保闘争」では山岳での仲間割れによる犠牲者が多く出ており、これは立松和平「光の雨」で描かれて映画化もされてます。
 他にも国会前闘争で東大の女学生が1人亡くなっており、岸信介はその責任も兼ねて退陣しました。

 それは国民に安保の賛否を問うための「解散」でしたが、結局地方の支持基盤が厚い自民党が勝利して、日本はアメリカの「核の傘」に入りました。
 この政策は岸信介がアメリカに強要されて受けたモノですが、彼は戦後「巣鴨プリズン」に入れられた経験を持ち、アメリカの言うなりにならないように努力した政治家でした。

 そのために当時独立したばかりのインドと手を結び、アジアに於ける足場を固めて西側一辺倒にならないようにしました。
 これについては最近「右翼のアイドル」櫻井よしこの「日本とインド いま結ばれる民主主義国家」を読んで知り、ここでは祖父の遺志をついでインドとの絆を固めようとした安部首相が、デリーで行った講演も載っています。

 そこで彼は、日本とインドの同盟を経済的、戦略的により深めて、中国に対抗する方針を語っています。
 安部首相は凶弾に倒れてしまいましたが、その政策は受け継がれ日本はアジアでの存在感を示し、アメリカの傘下に収まらない姿勢を見せております。

 この姿勢は未来の物語でも描くつもりなので、日本とインドの絆を作った岸信介には敬意を表します。

 

 
 
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