真の動物福祉牧場を目指して

ファルス(道化)と芸術

 昨日は概ね移動だけの1日で、ダラムサラーから電車の通っているパタンコットという街までバスで移動し、2時間遅れでやって来た夜行列車のギュウギュウ詰めの2等車両でなんとか眠りました。

 さして書く程のコトもないのですが、カジュラホから商売で来ている一家が送り出しをしてくれて、朝のジョイント回し(インド人の習慣みたいです)でハイになって朝食も頂き、景気よく山を下れました。
 
 靴磨きのリッキー君からも電話があり、仕事が入って見送れないけれども幾分かお金が入ったので、道具一式の代金を少し送金したいと言って来ました。
 わたしは勿論そんな面倒なコトは辞退し、お礼はまた今度来た時に期待するよと言って別れました。

 移動中はけっこう待ち時間があり、その間に「Loling Guest House」で読み終えた本と交換した、坂口安吾の「堕落論」を読みました。
 安吾はわたしが通った東洋大学インド哲学科の先輩なので、この本は目に止まっていましたが今回初めて読むコトが出来ました。
 
 これは短い評論集で、表題の「堕落論」は戦中・戦後をずっと東京で暮らした安吾の「観戦記」と言ったところで、日本人の武士道や貞操観、天皇制や選民意識の堕落を「救い」と捉えており、日本人はもっと堕落すべきだと説いています。

 これも面白かったのですが、わたしには「ファルス(道化)に就いて」と題した芸術論がより面白く、そこでは日本の落語や狂言、江戸文学などは世界に冠たる「道化芸術」であり、こうしたファルス文学こそが最高の文芸だと評しています。

 安吾は文芸を「悲劇、喜劇、道化」の三つに分類しており、悲劇も喜劇も人間社会の一面を表面的に切り取ったモノに過ぎず、それは偏った価値観に捕われた浅薄な文学だと評しています。
 一方でファルスは全てに偏るコトのない肯定的で明るい文学だとし、芸術とはすべからず創作なのだから、捕われは無くす方が善いとしています。

 安吾がこうした「全てを肯定する」道化の姿勢を持とうとしたのは、おそらく戦争の影響からに思え、あの戦争を悲劇や喜劇として描くのは余りにも表面的だとする気持ちは解る気がします。

 この文芸論ではエドガー・アラン・ポーの「Bon-Bon」や、フランス現代作家マルセル・アシアルの「ワタクシと遊んでくれませんか」などを引き合いに語っていますが、わたしはどちらも読んでないので、日本のファルス文学を代表する作家(私見ですが)中島らもの「白いメリーさん」を挙げさせて貰います。

 わたしはこのぶっ飛んだ短編集を高校生の頃に読み、文学に対する見方が大いに変わりました。
 それまでアメリカの高校に留学した時に三島由紀夫を読んで感銘を受けたりはしていましたが、まだ文学は堅苦しくて難解なモノという印象で、洒脱な快楽を味わえるコトを初めて知りました。

 しかしやはり、若者には文学よりも音楽の方が馴染み易いかと思うので、ファルス音楽のマスターと言えるトム・ペティも挙げさせて貰います。
 彼も中島らもと同じく早逝しましたが、まさに「天才短命」という言葉がぴったりのアーティストなので、是非とも2枚組のベストアルバムを聴いてみて下さい。

 最後にわたしの文芸について語らせて貰いますと、今ブログで進行中の(旅に出てから中断していますが)「Sunの物語」は近未来の話なので、それだけでもうファルス文学の部類に入るモノですが、さらに宮沢賢治の「銀河鉄道」をフィーチャーして宇宙文明とのコンタクトまで描いているので、そうとう「道化度」は高いと言えます。

 こうしたプロット(筋書き)で既に道化の道を進んでいる場合、内容の方はむしろ真面目でリアリティを持たせるべきかと思い、中国共産党の支配するチベット高原を解放して地球上から「闇」を取り除くというゴールを目指して、わたしの道化文学がどこまでリアリティを持って迫り得るか注目して頂けると幸いです。 

 

 

 
 
 

 
 
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