真の動物福祉牧場を目指して

命を捧げるコトについて

 東チベットのウラン鉱山で起きた蜂起は、それがライブ配信された為に「党」の強い危機感を招き、圧倒的な兵力によって迅速に鎮圧されます。

 そうなるコトは囚人達も分かっていましたが、それでも彼等は「何かの為に死ぬ道」を選びます。
 その「何か」は3000人居る囚人達でそれぞれ異なりましたが、共通するのは「このままずっと強制労働させられて死ぬのはイヤだ」という思いでした。

 彼等はウラン鉱山の警備兵をみんな鉱内に閉じ込め、つかの間の自由を得てそれまで押さえ込んでいた思いを語り出します。
 その証言はターシャによって配信され、世界中で深い反響を呼び起こします。
 
 それは彼等にとって遺言であり、自分がこの世に生きたコトを伝える最期のチャンスでした。
 しかし、多くのチベット人にとって「死」は終わりではなく、彼等はそれを次の転生への「跳躍」と捉えています。
 その為「如何に死ぬか」に彼等はこだわり、「何か」に命を捧げようとします。

 ここで少しこれまでの物語を振り返りますと、この「命を捧げるコト」は一貫して重要なテーマでした。
 「Synの物語」では長崎の原爆で亡くなったクリスチャン達を聖なるサクリファイス(犠牲)として描き、「Shu-Shan」では人民解放軍と五年間も渡り合った優樹(ユーシュー)の男達がみんな「断種政策」によって収容所で餓死させられ、それを最高に美しい「合葬」として描きました。

 「Sayの物語」でも一万年前に初めてチベット高原へ遠征した軍隊が、冬場のカロリー不足によって3000人の凍死者を出しますが、これも開拓の礎(いしずえ)として美化しました。
 
 こうした非常に多くの人が一緒に死ぬ場面では、特別な法力によって彼等の魂が銀河へ旅立つと描き、みんなで「銀河鉄道」に乗るのがオキマリのパターンとなっています。
 今回も3000人みんなで一緒に旅立つので、その魂はターシャによって導かれ、立派な銀河鉄道が地球から発車するとします。

 だいぶアバウトな話になったので歌で締めますと、「命を捧げるコト」を謳ったモノではジミヘンの「Bold as Love (愛の如く赤裸々)」が一番好きです。
 そこでは「虹のような君に命を捧げる」と唄われ、こうした男女のロマンスも囚人達の間で描けたら善いかと思っています。
 
 
 
 
 
 
 
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