今日はまた、チベットに於ける歴史的、社会的な「戦いの要因」に迫ります。
このテーマで特に優れた文章をネットに発表しているのは香港のジャスミンで、まずはそれを紹介します。
ここで彼女はチベット社会が如何に崩壊させられたかを語っており、それはアメリカ-インディアンが経た道に等しいとしています。
16世紀と21世紀ではもちろん違いはありますが、その「民族浄化思想」に違いは無く、チベット人は絶望的な戦いを余儀なくされています。
伝統的なチベット人の暮らしは高原の生態系と上手くマッチしていましたが、漢民族による乱開発により自然環境は崩壊し、砂漠化や河川の汚染、洪水や地震被害の拡大などで、彼等の生活の基盤は崩されました。
更にチベット人はインディアンの様に強制移住させられ、居住区には彼等の仕事はなくて仕方なく、家畜を捕まえる「投げ縄」の技でオートバイを捕まえたりし、そうした元遊牧民は当然「再教育中心」に送られてしまいます。
そこで彼等は過酷な奴隷労働を強いられ、それは日本が曾てアイヌ人や朝鮮人に強制したのと同じくらい酷い労働でした。
この「労働改造所」の実態は殆ど闇に閉ざされていますが、俄にハリー-ウーが「ビター-ウィンズ」や「労改」などで光を当てているので、それをウラン鉱山を描く上で参考にします。
しかし、「世界の屋根」でアジアの水源でもあるチベットが、北朝鮮の様に「闇に閉ざされている」現状を、国際社会はいつまでも許す訳には行かないでしょう。
「彼等はなぜ戦うのか」の答えは「自分の人生を生きたいから」で、それは「死」を特別に重視する彼等にとっては、プリテンダーズが「Revolution」で歌っている「何かの為に死にたい」という気持ちこそが、彼等の戦う理由として一番ピッタリかと思います。