真の動物福祉牧場を目指して

聖戦士ミトの祈り

 「祈り」については何度かブログで語って来ており、戦士の祈りについても「タシ(吉祥)の祈り」(2021年12月)と題して書いたコトがあります。

 そこでは「祈り」は人類共通のモノで、基本的にはみんな「吉祥」を祈っているとしました。
  
 因みにタシはチベットで1番メジャーな男性名で、女性名ではターシャになります。
 「Shu-Shan」の物語のタシは自閉症(聴覚障害)で言葉を理解出来ませんが、唸り声でチベット犬(超大型)の群を操る聖戦士でした。

 タシは最期まで法王-行善と供にあり、「絶滅収容所」ではしばしば行善から日本山の法華太鼓を渡されて、祈りの輪の中心を担いました。
 彼は祈りのマントラを正確に発音するコトは出来ませんが、7音の太鼓のリズムに乗せて大声を出すコトは出来て、日本山の祈りでは発音よりも声量の方が重視されます。

 「Sun」の物語のミトも声量では誰にも負けず、彼は身長2メートル超えの屈強な戦士で、19歳でトゥルクに認定された秀祥の護衛として、生涯ずっと彼女に付き従います。

 秀祥(しゅうしゃん)は行善(しんしゃん)の弟子なのでやはり法華太鼓を打って祈り、その祈りのマントラもやはり7音ならば何でも善しとします。
 ミトはチベット人なので「南無妙法蓮華経」よりも「オーㇺマニペメフム」の方が唱え易く、この2つのマントラはほぼ同義と言えます。

 これは1番簡単な解釈では「妙なる法よ蓮華と経てゆけ」という祈りになりますが、チベット仏教では「五大(土、風、火、水、空)に南無する」と云った意味合いが強く、それは曼荼羅の観想(イメージング)と供に唱えられたりもします。

 ここで「聖戦士ミトの祈り」に入りますと、彼は毎朝数時間も歩きながら太鼓を打って祈り、その「平和行進」は実質的に平和をもたらします。
 これが特に顕著だったのは、19歳の秀祥とネパールの「山賊の巣窟」を平和行進した時で、ミトが大声で祈り歩いた後では、誰一人として狼藉を働こうという気を起こさなくなりました。

 それはミトが漫画「刃牙」のオーガ(範馬勇次郎)みたいな巨漢の戦士だからで、敢えて彼に戦いを挑もうとする者は一人も居りませんでした。
 そんなミトの活躍としては、1980年に秀祥がジャック-ブラウンと供にニューヨークのセントラルパークで2週間ほどキャンプ暮らしをした折に、当時かなり治安の悪かったその公園を平和にしたエピソードが挙げられます。

 秀祥とジャックはニューヨークにギター-ドゥオの歌手としてデビューする為に出て来ましたが、当初はアパートも借りられず、セントラルパークで弾き語りをして暮らしました。
 このドゥオは評判を呼んで多くの観客を公園に集めますが、そこはホームレスも大勢住んでおり貧民窟のハーレムも近かったので、犯罪多発地帯となっていました。
 
 そこでミトは精力的に太鼓を打って祈り歩き、出合った人には必ず深くお辞儀をして周りました。
 これはどんな人でも平等に敬うという平和行進の肝で、ミトの様な屈強の戦士に頭を下げられては、どんな悪人も恐縮して大人しくなりました。

 ミトは常に鍛錬も怠りませんでしたが、結局彼の生涯では秀祥を守る為に戦ったコトは一度もありませんでした。
 それは秀祥の人徳とユパの智略にも依り、ミトはユパの指令に従って働きました。

 ミトは晩年まで屈強な身体を維持し大声で平和行進を続けますが、巨体を維持するのは心臓に負担をかけるタメ、80歳で寿命を迎えます。
 これはアスリートとしてはかなりの長命で、相撲取りの平均寿命は戦前までは46歳、戦後でも65歳くらいです。

 ミトの唯一の心残りは秀祥の旅のゆくへを見届けられなかったコトですが、護衛の役割はユパが最期まで果してくれると確信でき、心安らかに逝けます。
 彼はチベットの未来についても楽観的で、回想録ではチベット人は試練によって団結心を強められたとし、「その輪は決して壊れないだろう」と結びました。
 

 

 
 

 

 
 
 
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